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雇用環境を変えてしまったパソナの罪

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月13日
  • 読了時間: 2分

パソナ会長に竹中平蔵を迎え、とうとう政界にその末席を確保するに至った南部靖之代表。

創業当時は、壮大な理想を抱いていた。いわく、働きやすく、豊かに、自由で、何ら不安のないテンポラリーな人生を確立する。


関西大学在学中に、就職活動もそっちのけで、各企業を訪問し、採用担当者に訊いてまわった。

それこそ、働き方改革であった。採用する側も、また採用される側も、己の自己実現をも同時に叶える、両者WIN-WINの関係を共有できる。

創業当時には、アパートに一室を借りて、人材を企業に斡旋する、アルバイトを始めた。本人は、就職せず、この斡旋業に夢中になった。

芸者置き場だと悪口をたたかれたが、一向に気にすることなく、業務拡大にまい進する。

当初は、自分の父親に代表権を託していた。父親はもともと関西で繊維関連の貿易商で成功していた。

当時はまだ人材派遣業という明確なジャンルはなかった。強豪ライバルもいなかった。南部の想像を超えるハイペースで企業として発展していった。

やがて彼は財を成し、米国へ移住した。

いや、逃亡と云った方が正確かもしれない。南部靖之の理想は、いつしかモンスターへと変貌を遂げていた。

制御不能にまで成長していた。当初、大阪地区だけで追い求めてきた理想の姿は、やがて全国制覇へと姿を変えるのだ。

社名は、パソナと変更された。そして東京・大手町へと移転する。

会長には竹中平蔵を迎え、経営難に陥っていた幾多の企業を買収し、傘下に収めた。もう雇用される側に立ってはいなかった。

いつしか採用する側に立っていたのだ。

そしてロビー活動を竹中平蔵会長に任せて、その活躍によって、政治の中枢に入り込んだ。

見事にその立つ位置を逆転したのだ。いまやあのガリバー電通とも胸襟を開いている。

にしても、関西大学で理想に燃えていた南部靖之は、いったいどこに消えてしまったのか。


景気変動にまっさきに解雇され、たちまち生活苦となってしまう雇用の調整弁を生み出すために長年孤軍奮闘してきたのか。

南部は、年越し派遣村の報道をいったいどこで観ていたのだろう。


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