閉塞感には宗教は無力である
- 高下 豊光
- 2021年11月15日
- 読了時間: 3分
地下鉄サリン事件実行犯「林郁夫」は、ただ一人、無期懲役刑が確定している。

彼は、慶応大学医学部卒業後、アメリカに渡り、病院で勤務する。彼の専門分野は、心臓外科だった。のちに退職して日本に戻り、栃木県済生会宇都宮病院、国立療養所晴嵐荘病院(現・茨城東病院)、慶應義塾大学病院などに勤め、同病院での勤務時代には心臓外科の名医として「石原裕次郎」の手術チームの一員でもあった。
彼は、臨床医として癌などの末期患者らと接するうちに、現代医学が乗り越えられない「死」に対して深く考えるようになる。
彼は、この時点で"哲学"に触れるべきだったが、新宗教・精神世界に救いを求めてしまった。
そして、1977年、桐山靖雄の本に感化され、阿含宗(ある意味カルト)の正式な信徒となり、多くの知り合いを阿含宗に勧誘していたようだ。 ここまでは、麻原彰晃と、同じである。 この「変身の原理」は、私も興味深く読んでいる。麻原彰晃も読んでいるにちがいない。 阿含宗には約12年在籍したが、自身の修行の成果が出ないと悩んでいた。この時点で彼は、心理カウンセラーの扉を叩くべきだった。
新宗教などにうつつを抜かす場合ではなかったと思う。「林郁夫」に欠けていたものがある。 それは、医師としての俗的な功名心なのだ。彼は、真面目過ぎたとも思う。
それがゆえに、精神的な迷路に迷い込んだ。彼の「なにゆえに」は、新宗教が解決できるテーマではないものだ。
やがて、予防医学の重要さを認識するようになり、心臓病などはストレスと深くかかわっていると認識し、患者にヨガ、瞑想法、呼吸法などを紹介したりしていた。
すでに彼は、危険な迷路に迷い込んでいる。
この時点で、彼が没頭すべきは「ニーチェ」であり「太宰治」なのである。決してオウム真理教麻原彰晃の「空中浮揚」ではなかった。
そうしているうちに、麻原彰晃のペテンに出会うのだ。林郁夫は『オウムこそが私を救ってくれる』と確信した。
彼は、洗脳以前にすでに洗脳されていた。驚くべきことに、林郁夫はマンションを売却して、家族を連れてオウムに出家する。お布施として約7千万円を携えて。
林郁夫が撒いたサリンでは、二名の地下鉄職員が犠牲になった。
地下鉄車内で犯行に及ぶときに、いったい彼には罪悪感はなかったのだろうか。
"慟哭の裁判"とも云われた、林郁夫の涙に咽ぶ裁判は、傍聴した人々の心を大きく動かしたという。
被害者遺族は、彼の極刑を必ずしも望まなかった。生きて罪を償って欲しい、それが願いだった。
1995年5月16日、林の自供を受けて警察はオウム真理教の教団施設に対し、強制捜査を実施する。
札束を抱えて隠し部屋に潜んでいた教祖の麻原彰晃は、地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕された。 結果として、林郁夫の自供がオウム真理教の解体へとつながったのだ。 そして、彼はあらゆる事件の起訴事実を全面的に認めた。
林郁夫の実家は開業医を営んでいた。母親は薬剤師であった。
彼は、心優しい少年で、大人になったら人の命を救おうと考えていたそうだ。
「いったいなぜ、人助けというりっぱな仕事に携わってきたあなたが」という取り調べにあたった係官の問いかけに、林郁夫は「閉塞感です」と答えている。
恵まれた家庭に育ち、心臓外科の名医とも云われた彼は、いったいどのような闇に堕ち込んでしまったのだろう。
「オウム真理教」などに出家せず、「阿含宗」に籍を置いたままで、心臓外科の世界で技術を磨いて欲しかった、と残念に思う。 にしても、麻原彰晃の「空中浮揚」写真は、浮かんでいるのではなく落下している写真だ。 その程度のペテンが見抜けなかったのか。 いくら有能な心臓外科医でも、決して形而上学的な思考は得意ではなかったと云えるだろう。

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