鉄腕アトムが先生だった時代
- 高下 豊光
- 2021年9月11日
- 読了時間: 2分
21世紀の未来を舞台に、原子力(後に核融合)をエネルギー源として動き、人と同等の感情を持った少年ロボット、アトムが活躍する物語。米題は『ASTRO BOY(アストロ・ボーイ)』。

本作は、1951年(昭和26年)4月から翌年3月に連載された『アトム大使』の登場人物であったアトムを主人公として、1952年(昭和27年)4月から1968年(昭和43年)にかけて、「少年」(光文社)に連載され、1963年(昭和38年)から1966年(昭和41年)にかけてフジテレビ系で日本初の30分テレビアニメシリーズとしてアニメ化された。
このアニメ第1作は平均視聴率27.4%を記録しその後、世界各地でも放映された。
1981年には、様々な形で、本作が出版された数の累計が1億冊を突破した。
子供たちが事件に巻き込まれると、アトムがどこからともなく現れて、悪者を退治してくれるのだ。当時は、まだ子供の世界には悪は存在しなかった。悪い大人を僕らのアトムがやっつけてくれる。子供たちは、「正義感」というものを手塚治虫から学んでいた。大人の世界には、とんでもなく悪いやつがいる。だから、僕たちは大人になってから「強く正しく」生きるんだ。
手塚漫画は、それを子供たちに教えてくれたのだ。もう戦後ではなくなっていた。餓えることさえなくなっていた。確かに貧乏は見える場所にはなかった。
だが、子供たちは鼻をたらし、袖でぬぐうのでどの子にも袖口はきたなく汚れていた。栄養が十分ではなかったせいである。けれども、子供たちは田んぼでザリガニを捕獲し、ため池で鮒を釣って遊んでいた。それは夕食のおかずになったりした。
まだ貧しさがあり、鼻をたらして走り回り、芋ぐらいしかおやつもなかったけど、子供たちは底抜けに明るく笑っていた。いつもひざは擦り傷だらけで、治すために「赤チン」を母親に塗ってもらった。家に帰るとおばあちゃんやおじいちゃんがいた。おじいちゃんは、竹を削って、おもちゃを作ってくれた。
まだ、便利なものは何もなかった。夏になれば、家で栽培したスイカを井戸で冷やしていた。そして、家庭には冷蔵庫がなかった。贅沢なものは何もなかった。だが、今に無いものが一つだけあった。
---それは、希望だ。昭和は遠ざかっていく。

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