自動車の革命家「ヘンリー・フォード」
- 高下 豊光
- 2021年9月15日
- 読了時間: 2分
現在、我々は、とても、手軽に自動車を所有し、買い物、旅行など自分で車を運転して出かけている。

現在では当たり前になっている車だが昔は庶民が手にできるような代物ではなかった。
19世紀の終わりから、20世紀の始めにかけて、ガソリン車が発明され改良を加えられる。
だが、当時はごく一部の富裕層にしか所有が許されなかった。
今、我々の生活を見渡してみると、誰でも運転免許を持ち、一家に1台から2台ぐらい自動車を所有している。
こんなに、便利な状況になるまでには様々な紆余曲折があった。
フォードは、全ての人が車の性能を信頼し、しかも購入可能な自動車を作ろうという願いのもとにTフォードを製作する。
当時、富裕層が買う手作りの自動車が3000~4000ドルであったのに対して、このT型フォードは825ドルであった。
フォードは、T型フォードについての記事や広告をデトロイトのあらゆる新聞に載せて、大々的な宣伝活動を行った。
また、北アメリカのほとんどの都市に、車の販売店を設立するのだ。
こうした活動は、フォードの宣伝になっただけではなく、社会のモータリゼーション化を推進していく。
売上げは前年比、100パーセント増という離れ業を数年繰り返していたという。
1913年よりフォードは、ベルトコンベアーによるライン生産方式を導入し、コスト削減、生産力強化、利益増大と大量生産の基礎となるモデルを確立する。この生産方式は多くの工業で、取り入れられ、工業生産の発展に貢献することになった。
彼のすごさは、その技術を庶民に分け与えたというところにあるといえる。
フォードが願った、車を全ての人が購入でき、運転して出かけてほしいという滅私の気持ちが、社会をめざましく、豊かに進化させたのである。
奉仕の精神を根幹としたたゆまぬ努力が、彼を成功へと導いた。
フォードは、後に次のように回想している。
「もはや手の施しようのない事態に直面したら、事態の成り行きに任せるだけだ」
自分の信念を決して曲げず、人間関係ではトラブル続きだった彼は、周囲との摩擦を気にせず、自分を貫いたという。
私を含めて彼に学ぶべき日本人が多すぎるとは思わないだろうか。

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