老舗商社イトマンを食い物にしたバブル
- 高下 豊光

- 2021年9月8日
- 読了時間: 3分
その名が全国に知られるのは、老舗商社イトマンを舞台にした特別背任事件が発覚してからである。

他方、株式会社協和総合開発研究所の社長だった伊藤寿永光は、当時仕手筋として名を馳せていた「コスモポリタン」会長や大阪府民信用組合理事会長に対し、雅叙園観光の仕手戦に関して融資していた200億円の貸金が焦げ付いていた。
伊藤はこのように資金繰りに窮する中、住友銀行の磯田一郎会長やその腹心である河村に急接近し、伊藤萬の経営に筆頭常務として参加するようになり、伊藤萬を介して住友銀行から融資を受けるようになった。
また、雅叙園観光の債権者の一人であった許永中も、同社の再建処理を行う上で伊藤寿永光との関係を深めるようになり、伊藤を通じて伊藤萬との関係を持つようになった。
調べが進むと、驚愕の事実が明らかとなる。イトマンの借入額は、不動産投資だけで、1兆2千億円に上った。
事件後、イトマンが住金物産に吸収合併されるまで、なんと3千億円が闇社会に消えたという。
1990年5月の日本経済新聞の報道で、伊藤萬の不動産投資による借入金が1兆2,000億円に及んだことが明らかになったことをきっかけに、許は、河村に、美術品や貴金属などを投資すれば経営が安定するとの話を持ちかけた。これを受けて、伊藤萬は許永中の絡む三つの会社から、許永中の所有していた絵画・骨董品などを総額676億円で買い受けた。さらに磯田の娘も不明朗な絵画取引に加わったとされる。これらの美術品は鑑定評価書の偽造などが行われ、市価の2~3倍以上という法外な価格であったが、河村や伊藤はこれを認識しながら買い受け、これによって伊藤萬は多額の損害を受けた。異常な取引が続いた背景には、磯田の後ろ盾により河村がワンマン体制を敷いており、誰も河村を止めることができなかった事情があった。
そのほか、伊藤や許は、伊藤萬に対して、地上げ屋の経営や、建設の具体性の見えないゴルフ場開発へ多額の資金を投入させた。
その結果、伊藤萬本体から360億円、全体では3000億円以上の資金が、住友銀行から伊藤萬を介して暴力団関係者など闇社会に消えていった。中には伊藤萬の経営に対し批判的記事を書いた新潮社や日本経済新聞へのマスコミ工作と称して流出した資金もあった(実際にマスコミ工作が行われたのかは裁判でも明らかになっていない)。
1991年元旦、朝日新聞が「西武百貨店→関西新聞→イトマン 転売で二十五億円高騰」「絵画取引十二点の実態判明、差額はどこへ流れた?」との大見出しで、絵画取引の不正疑惑をスクープした。
1991年7月23日、大阪地方検察庁は特別背任の疑いで上記の許・伊藤・河村を含む6人を逮捕し、その後起訴した。
2005年10月7日、最高裁の上告棄却決定により、許について懲役7年6月・罰金5億円、伊藤について懲役10年、河村について懲役7年の刑がそれぞれ確定した。
しかし、これらの巨額資金の行方は今もって謎に包まれている。
彼らは、悪のタッグを組み、絵画取引やゴルフ場開発、それに株式投資などを目論み多額の資金をイトマンから引き出していた。
その裏には、頭取の磯田率いる住友銀行の存在があった。
やがて、狂乱のバブルは終着点に向かった。

アーリーバードのホームページ⇒earlybird65.jimdo.com
優位性のあるEAを無料で紹介しています。







コメント