相澤社長が見出したスター性
- 高下 豊光
- 2021年12月16日
- 読了時間: 2分
酒井法子が本名を歌手名にした理由

同じ福岡出身の先輩アイドル「松田聖子(本名は法子)」にあやかったこともあるが、
どうしても、彼女は本名にこだわったと云われる。彼女を見つけたのがサンミュージック社長であった。
サンミュージックの当時の相澤社長は、酒井法子のタレント性を正確に見抜いていた。
相澤社長は、酒井法子のバックボーンを承知していた。
その父親が、広域暴力団山口組傘下の武闘派で知られた「酒井組」の組長であることも。
だから、本名でデビューさせることを躊躇した。なるべく背景を秘密にしたかった。
だが、酒井法子本人は、あくまで本名を芸名にして売り出したかった。それには、深い理由があった。
彼女の実母は、表向き死んだとされているが、そうではなかった。生きていても動向は知らされていなかった。
酒井法子は、有名になって本名でテレビに出れば、必ず実母は名乗り出るに違いないと考えたのだ。
父親の酒井三根城は、二枚目すぎる武闘派組長であった。酒井法子は、その父親似だという。
彼女が水準以上に美人なのも納得できる話だ。
酒井法子を生んだ実母は、酒井三根城の元を去って、若い男と駆け落ちした。このとき、酒井法子は乳飲み子だったが、置き去りにされてしまった。父の酒井三根城は、ちょうど刑務所に入っていた。
14歳になった酒井法子は、何としてもこの呪われた境遇から抜け出したかった。だから、懸命にオーディションに取り組んだ。その心からの必死な思いは、相澤社長の心に響く事になったのだ。
相澤社長は、「清純派アイドル路線」を酒井法子に示していた。彼女自身も必死でそれに応えようとした。
実母のことを思うと、何としても"清純派"で成功しなければいけなかった。
そのストレスたるや尋常ではなかっただろう。後に酒井法子は、「薬物摂取」に堕ちていくのだが、
私には分かるような気がする。もちろん、だからといって、彼女の薬物摂取を認めるわけではない。
あるいは「野島伸司」が出現してこなかったら、溝口マネージャーが自殺に追い詰められることはなかっただろう。
そうであれば、「酒井法子」が薬物に手を出すことはな
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