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相模原殺傷事件と死刑判決の底知れぬ闇

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年11月1日
  • 読了時間: 4分

2016年7月、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」において入所者19人が殺害された。横浜地裁は、被告人元同園職員植松聖(さとし)(30)に対し、死刑判決を下した。


被告人・植松聖は、「意思の疎通が取れないような重い障害者は、安楽死させたほうが良い。彼らは人々を不幸にするだけだから」と自説を述べている。

だが、本当にそうだろうか、本当に被害者は社会にとっての迷惑な存在だったのだろうか。


この世間を震撼させた"津久井やまゆり園事件"を振り返ってみたい。

問題は、保護されるべき社会的弱者が殺害のターゲットとされたことであった。各障害者団体等は、次々と声明を出していた。法廷での彼の発言がいかに間違っているかを示すためにであった。

マスコミ各社は、障害者の生き生きとした活動などを紹介した。容疑者の発言は完全に間違いで、障害を持った人も、言うまでもなく、人間としての価値があり、生きる権利があると。至極、真っ当な意見である。

これらテレビ取材に応じた人々は、歌ったり踊ったりおしゃべりもできる健常者たちだ。だが、被告人が語ったのは、意思の疎通が取れない人たちのことなのである。

私たちはその犯罪に怒り悲しんでも、特に犯人に反論をしない。みんながそんなことを考えているわけではないと、知っているからだ。だが、この事件は違った。私たちが植松聖被告の言葉に戸惑ったのは、社会の中に、そのような考え方があると、わかっているからだ。

インターネットの中のおバカさんだけが、被告人を称賛しているだけではない。極めてまっとうな社会の中にも、類似の考え方があると、われわれは知っているからだ。

もちろん、植松聖の言っていることは間違っている。そして、この事件は派生的に『生きるに値しない生命はあるのか』という根源的な問いを投げかけているのだ。これは、誰にも正解を導くことができない。

私たちは子供のことで悩む。成績や健康、就職、結婚、非行や引きこもり。だが、ある障害児の親は述べている。

皆さんの悩みは贅沢だと。お分かりだろうか。

さらに重い心身障害を持った子の母親は語っていた。「この子が、ひとこと、たったひとこと、『お母さん』と呼んでくれたら、私の苦労は全て報われる」と。だが、その願いは叶えられない。その子は何歳になっても歩くこともできず、つかまり立ちすらできず、話すこともできない。知的レベルは、赤ん坊のままなのだ。この子は生まれてくるべきではなかったと誰が云えるだろう。

私たちは、これら重度心身障害者の人々を、町で見ることはない。テレビに出ることも、まずない。だが重度心身障害を持つ人は確かに生きていて、私たちの町にもいて、その家族のみなさんが生活しているのだ。

しかし、私たちには見えない。いや、見ようとしない、考えようとはしない。まるで、そんな人は最初からいなかったように。

この事件は、その問題を私たちの目の前に突き付けたのだ。

全ての人の命に価値がある。そのとおりだ。だが、本当にその通りかと考えることは意味がある。

出生前診断は、以前よりも早い時期にできるようになっている。ところが、重い障害を持って生まれてくるとわかった時には、親はどんな決断を下すべきなのだろう。道徳の教科書には書かれていない。110番しても誰もアドバイスなどできない。

障害児が生まれて、逃げてしまう父親は珍しくない。一家離散もあるという。

だが、その危機を乗り越えた家族は、異口同音に語る。「この子こそ、私たちの宝だ」と。

生まれつきであれ、大怪我や大病のせいであれ、動けない人はいる、意思の疎通が取れない人がいる、意識の戻らない人もいる。

その意思の疎通が取れない人を、看病する人がいる。話しかけ続ける人がいる。その人のために本を読み、歌を歌う人がいる。その声が届いているのどうかはわからない。科学的、医学的に意味があるのかもわからない。だがそこに、人としての尊厳がある。

理念は大切だが、現実も無視できない。全ての人の命は等しく大切だが、医療の場面でもトリアージが行われることはある。

新型コロナウイルスで医療崩壊し、人工呼吸器が足りなくなれば、合併症がある80代の呼吸器を取り外し、治る可能性のある20代に呼吸器を取り付けることになっている。最近の言葉では「トリアージ」というらしい。

ある関係者は、「被告と同じように、仕事で日々 重度の障害がある方たちと接してきた私。辛い、辛いニュースだった。衝撃だった。自分も被告と同じ思考になってしまうんじゃないかって恐怖もあった」という。

犯罪者の言葉に惑わされず、犯罪を憎み、犯人を逮捕し、正しく裁き、犯罪を予防しなければならない。そして、犯罪事実と裁判を通して、命の大切さと人としての尊厳を学ばなければならない。

戦後のGHQによる教育改革は、植松聖のようなとんでもないモンスターを生み出してしまったようだ。米国にとって、日本は「完全に作り替えることが重要」とされていたとはいえ、私は、戦前のすべてを否定したのは間違いだったと考えている。


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