皇室温存は、戦後米国の失敗?
- 高下 豊光

- 2021年12月8日
- 読了時間: 3分
戦後のGHQに託された使命は、日本人を弱体化することであった。

再び二度と米国には歯向かうことが無いように、完膚なきまでに日本人の精神面を粉々に破壊しつくしたつもりであった。
最初に「神話教育」を禁止した。次に「道徳教育」にも手を付けた。
日本人の評価すべき美徳は、滅私的な同族意識といったサムライスピリッツである。
米国では、先の大戦で日本人は「怖い」ということを嫌というほどに経験した。
しかも、ゼロ式戦闘機を産み出した産業力にも驚愕している。
日本は、二度と敵に回したくない相手であった。
戦争終結直前に原爆の完成を見た。この新兵器でジャップ(注:日本人に向けられた蔑称)を叩き潰そうと考えたのも無理ではなかった。
米国側では、日本以上に日本を研究した。戦後紹介されたベネディクトの「菊と刀」は、わが国でベストセラーになったが、実によく日本人・日本社会を研究している。
GHQが最初に実行したのが、戦争犯罪者の逮捕である。1948年の東京裁判にて東条英機ら7名がA級戦犯として裁かれ、処刑された。この「東京裁判」は戦勝国に都合のいい判決が下されただけという根強い批判が今に残っている。その後もGHQは、戦争を推し進めた政治家たちを公職追放するなど、徹底した態度を取る。
次に戦闘機を作るきっかけになるような飛行機などの製造を禁止した。ただし、その後に起こる冷戦や朝鮮戦争の影響で方針転換を余儀なくされた。
GHQは日本が戦争意欲を二度と持ちえないように非軍事化と民主化も押し進め、財閥の解体、婦人参政権の承認、農地改革、教育制度改革などを実施していく。こうして非軍事国家としての、戦後日本の基礎を作り上げた。
マッカーサーは、日本に自由主義の移植を成功させた。戦時中の日本政府が掲げていた「一億玉砕」の精神はある種の洗脳であり、国民という集団に大きなひとつの意思を持たせる教育だったと規定し、教育改革を断行する。
さらに労働組合の結成を促し、産業や経済にも個人の意思が尊重される民主化を進める。権力者がその力を暴走させ、不当に国民に苦痛を与えないよう、国民の権利を奪う決まりを撤廃し、尋問や拷問なども排除した。
当時の日本人の記録で、マッカーサーに対する批判的なものはそれほど残っていないという。彼が祖国に帰る時は見送りをする日本人もいたそうだ。この民主化が米国に組み込まれた現在の日本の体制を生んだことは間違いない。安保問題や競争主義による格差問題など、様々な弊害を生んでいる。
ところが、その根本的なところでは日本人は変わっていなかった。
それを実証したのが東日本大震災である。
諸外国ではしばしば目にするが、日本では暴動や窃盗など目立った事件は起きていない。
被災者は、整然とあるいは冷静に支援物資を求めて順番を待つシーンがたびたび目撃されている。
この状況に米国人は一様に驚いた。
戦後教育でも、彼らは変わっていなかったのである。
日本人は個人意識が希薄であるが、一丸となって組織となれば異常な力を発揮する。
その中心人物は、言わずと知れた皇室である。







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