狙われた日立、IBM産業スパイ事件
- 高下 豊光
- 2021年9月21日
- 読了時間: 3分
1982年(昭和57年)、日立製作所と三菱電機の社員が米IBMの機密情報を不正に入手したとして逮捕された「IBM産業スパイ事件」は、ソフトウエアが有料の商品として認識されるきっかけとなった。

東北・上越新幹線が開業した1982年(昭和57年)であった。衝撃的なニュースが飛び込んだ。
国内のコンピュータ業界を震撼させる事件が起きたのだ。
6月23日の日本経済新聞夕刊1面トップに「米、産業スパイで邦人逮捕」「IBMの機密盗む」「FBIがおとり捜査 日立・三菱社員六人」と厳しい見出しが躍った。
記事には手錠をかけられ連行される日本人社員の姿をとらえた衝撃的な写真も報じられる。後に「IBM産業スパイ事件」と呼ばれることになる事件である。
日立製作所と三菱電機の社員がIBMから機密情報を盗み出したとして、米連邦捜査局(FBI)のおとり捜査で逮捕された。さらに国内関係者12人にも逮捕状が出された。
逮捕および逮捕状が出たのは日立関係者が14人、三菱電機が4人。人数から分かる通り、より深刻だったのは日立である。
当時のコンピュータの主役はメインフレームだ。1960年代からIBMが世界最大のコンピュータメーカーとして市場をリードするなか、多くのメーカーは長らくIBMのシステムにつながる記憶装置などを細々と提供してきた。当時のIBMはハードウエアとソフトウエアを分離せず、ひとまとまりとして提供していた。
転機が訪れたのは1969年だった。米司法省はIBMがハードとソフトを一括で貸し出し、料金がハードとソフトのいずれに該当するのか不明瞭なまま提供する「包括レンタル方式」を問題視し、独占禁止法違反で訴えた。
その結果、IBMはメインフレームをハードとソフトに「分離」して提供し始め、併せて情報開示を進めた。OSのソースコードも有償で提供し始めた。他メーカーは公開情報を入手し、ソースコードを購入して合法的に同等製品(互換機)を開発できるようになった。
まだコンピューターは、大衆の事務機械ではなかった。事務機械といえばIBMの時代である。
インターネットの普及はまだ10年待たなければならないのだ。
IBMのメインフレームの提供方法は互換機が広まるきっかけとなった。IBMは新たなメインフレームを提供する際、以前のメインフレームで稼働していたプログラムの動作を保証していた。いわゆる上位互換である。
IBM以外のメーカーは最新のIBM製品をまねすることで、従来のプログラムが動作する互換機を安価に提供し、過去のプログラム資産を抱えたユーザーをIBMから「奪う」ビジネスが成立したのである。
この事件以後は、急速にパソコンが一般化していく。

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