熊本県水俣市の底知れぬ憂鬱
- 高下 豊光
- 2021年9月21日
- 読了時間: 2分
1953年、熊本県水俣市で、奇病が拡がった。
ある日、一匹の猫が狂ったように飛び跳ねて海に身を投げた。だが、その日から、湾内で採れた魚を食べた人達は身体がしびれ、筋肉が痙攣して、ロレツが回らなくなる。さらに激痛に苛まれる人が多発する。

やがて1959年までに、国策企業であったチッソが運営するアルミニウム工場から湾内に排出していたメチル水銀が原因であったことが確認される。
犠牲者は、ほとんどが漁師であった。彼らは、地元で差別を受け、二重に苦しむことになる。さらに、脳に重い障害をもった赤ん坊が何人も生まれていた。
だが、水俣市では、地元で最大の雇用を提供する国策企業であたため、工場の廃止には消極的であった。
チッソは、当初責任を否定した。犠牲者とその家族は、補償を求めて1年間にわたって座り込み抗議を続けた。
チッソが当時遺族に示した補償額は、当時のレートでわずかに30万円であった。
この公害病は、むしろ海外で有名になった。米国人の報道写真家「ユージン・スミス」に撮られた少女の写真が世界で話題になったのだ。
少女は、ときおり野獣のように咆哮した。およそ、人間には見えなかった。
日本政府が重い腰を上げたのは1973年、水俣病が発覚して20年後のことである。
死亡したのが350人以上、数千人が障害者となっていた。チッソが補償金を出したのは138名だけであった。
それから、公害病は日本列島で頻発していくのだ。

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