活躍したデビッド・ボウイの金融革命
- 高下 豊光

- 2021年9月15日
- 読了時間: 3分
イギリスが生んだ不世出のロックスター「デビッド・ボウイ」を覚えていますか。
大島渚監督「戦場のメリークリスマス」で捕虜の兵士を熱演していたので、映画で観た人もいるだろう。

彼は、1970年代から80年代にかけて数々のアルバムを爆発的にヒットさせたのだ。
しかも、日本を含む全世界のツアーを成功させている。
この「デビッド・ボウイ」だが、なんと金融ビジネスの才にも恵まれていた。
自分の楽曲といった静的な資産を「債権」という動的な変えてしまったのである。
現在では、多くのロック・スターたちによって採用されているが、楽曲という形のないものでも債権化できるという
ことを証明して見せたことで、当時としては画期的な金融事件でもあった。
この収入源を債権という金融商品に変えるというアイデアは、以前にも航空機のリース、マイカーローン、住宅のローンなど他のローンに応用されてきた。「デビッド・ボウイ」は、工夫次第で新しい分野の債権が生まれる可能性を示したことで金融革命と呼べるほどの変革をもたらしたのだ。
音楽ビジネスは知的財産権の保護・活用が成功の鍵を握る。しかし、多くのアーティストはその活用についてレコード会社や音楽出版社まかせで基本的に無関心だあった。
だが、ボウイは違ったのだ。自らの権利をコントロールすることに長け、革新的な知財マネジメントを実践した数少ないアーティストの一人だった。
1997年、ボウイは自らの楽曲(初期25枚のアルバム)の著作権(作詞・作曲の権利)とレコード原盤のアーティスト・ロイヤルティー(印税)を担保に「ボウイ債」と呼ばれる債券(資産担保証券、ABS)を発行して、5500万ドル(約65億円)の資金を調達した。アーティストが自らの著作権を証券化するはじめての試みだった。
ボウイ債の当時の利回りは7.9%(期間10年)で、米格付け会社ムーディーズは投資適格級のA3に格付けして信用力のある債券と認めたのだ。音楽業界全体の不振により、2004年にボウイ債は投資適格級では最も低いBaa3に格下げされたが、ABS市場の活性化に一役買ったと言われている。
ボウイ債を発行した理由は明らかにされていない。推測するに、当時はアルバムの売り上げが不振でレコード会社との契約更新が難航し、次回作の制作・発売のめどが立たない状況にあり、継続的かつ安定的な創作活動を行うための基盤となる自主レーベル設立の資金が必要だったと考えられる。事実、後に自身のレーベル「ISO」を立ち上げ、アルバム『ヒーザン』(02年)をリリースしている。
「デビッド・ボウイ」の編み出した債権化は必要に迫られた手法であったが、どうして日本人から生まれて来ないのだろう。少し悔しい気がする。
「デビッド・ボウイ」は、2016年1月10日に死去した。享年69歳であった。不世出のロックスターであった。

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