松田公太「タリーズコーヒージャパン」
- 高下 豊光
- 2021年9月13日
- 読了時間: 2分
1995年12月。27歳、銀行員である松田公太。彼は友人の結婚式に参加するため、ボストンを訪れた。

その際、時間潰しのために寄った市場でスペシャリティコーヒーの店に並ぶアメリカ人の列を見かける。
行列に並んではみたものの、コーヒー1杯3ドルという値段を見て「スペシャリティコーヒーという聞き覚えないコーヒーがいくら高品質でもこの値段は納得いかない」というように感じたという。
しかし、実際飲んでみると「おいしい!」と感動。
そのコーヒーに衝撃を受けてから、4ヶ月後には、いてもたってもいられなくなりスペシャリティコーヒー発祥の地シアトルへとんだ。
松田公太は、シアトルでタリーズというコーヒーショップに出会う。コーヒーの味や内装やロゴに感動した彼は、店員さんに「タリーズ本社に連絡してくれ!」と申し出た。「タリーズを日本でやりたい!」と思い、タリーズの会長のトム・オキーフを呼び出そうとしたのだ。
当時でもタリーズは地元シアトルに20店舗構える人気店であった。当然、会長に会うことはできなかった。
元々彼はコーヒー通でもなく、コーヒーなんて人生になくても困らない存在と思っていたという。
にも関わらず、コーヒーに感動した4ヶ月後にはシアトルに行き、タリーズの会長に直談判して日本に店をオープンしようとした。
松田公太の行動力はそれだけに留まらず、加速度は増していく。彼はメールを送りまくるだけではなく、決まってないのに6年勤めた銀行を退職した。
シアトルから日本に戻ってからの生活は変わるのだ。銀行の仕事が終わって自宅に戻った後、深夜パソコンに向かい合い、タリーズにEメールを送り続けるという日々が始まったのである。
メールは自己紹介に始まり、タリーズが日本に進出した場合を想定して、自分なりのビジネス論を展開した。日本全体の喫茶店数、売上高の推移、というデータも書き込んだレポートも送付した。
「タリーズで起業したい」という松田公太の思いは日増しに強まってくる。
友人たちは「銀行員は続けた方がいいよ、せめてタリーズと契約してから辞めた方がいいんじゃない?」という保守的なアドバイスを送っていた。当然であった。
一人の奇人から会社は起きるのである。
しかも開業資金の7000万円は借金であったという。

アーリーバードのホームページへどうぞ。優位性のあるEAを無料で紹介します。 そのダブルスチール投資法は、こちら⇒earlybird65.jimdo.com
夢では、お金は増えない。EAならお金が増える(こともある)
Kommentare