松下幸之助、伝説の熱海会談
- 高下 豊光
- 2021年10月11日
- 読了時間: 3分
熱海会談には、松下電器の役員と事業部長、営業所長が全員出席していた。一方、販売会社・代理店の社長や会長といった責任者にも、全員集まっていただくことになった。

会談においてまず訴えられたのが、手形の乱発をやめ、現金取引にすることであった。ホンダの例を挙げ、「経営悪化に陥ったホンダは、決死の覚悟で過去の手形も現金に換え、当月からすべての代理店が現金取引に転換したことによりよみがえった」と、何ごともなせば成ることを話している。
幸之助会長は、資金の回転も非常に重要であると考えていたようだ。代理店の方が経営の苦境を訴えたところ、幸之助会長は170名ほどの出席者に向かって、「毎日の売上を認識している方は手を挙げてください」と聞いいたという。
売上というのは販売会社・代理店の命です。その毎日の売上を9割近くの責任者がご存じない。幸之助会長いわく、「だから赤字なんです」と。売上や利益をしっかり認識し、経営者としての責任を自覚する。(松下電器に頼らずに)自分で経営の策を考え、決断を下す。そういう自主責任経営の意識を持つべきだと。
とはいえ、販売会社・代理店の松下電器に対する苦情や批判は2日目の夜になっても収まる気配がなかった。ついに3日目の午前11時になったころ、突然、幸之助会長が立ち上がるのだ。そして、1936(昭和11)年にナショナル電球を売り出したときの苦労話を始めたという。
当時、マツダ電球(クルマのマツダではない、現在の東芝)というのが最高級品とされ、それ以外の電球はマツダの7掛けぐらいで売られていた。しかし、幸之助会長の方針は、マツダ電球と同じ値段をつけること。そこで、代理店の皆さんを、こう説得したという。
「今、松下電器は相撲で言えば、まだまだ幕下のいちばん下のほうです。しかし、いつか横綱にしていただきたい。横綱のマツダと対等に相撲を取らせていただきたい」
続けて幸之助会長は胸の内を率直に打ち明けるのである。
「この30年間、皆様方には、マツダと同じような値段で売れるよう、非常に努力していただきました。それにもかかわらず、私どもは、ものの見方、行き方を誤りました。ほんとうに申し訳ないことでございます。松下電器は感謝報恩の念を忘れておりました」
そこでフッと言葉が止まります。すると、ポケットからハンカチを出して、涙をぬぐった。30秒ぐらいでしょうか、会場が静寂に包まれ、販売会社・代理店の方々も目に涙を浮かべた。
「共存共栄の心を説きながら、それを忘れてしまい、経営悪化を招きました。きょうから松下電器は生まれ変わります。松下電器全社員を挙げて、皆様方のご意見を聞き、真剣に対応をいたします」と締めくくった。
こうして、熱海会議は成功の裡に終ったという。

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