昭和のカリスマ起業家・稲盛和夫
- 高下 豊光

- 2021年11月29日
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1973年(昭和48年)、京セラが音頭をとり、ジャパンソーラー・エナジーを設立する。その後、提携企業は撤退し、京セラが単独で事業を継続する。

1984年(昭和59年)には通信事業の自由化に際し、京セラの資金を投入し第二電電 (DDI) を設立後にケイディディや日本移動通信と合併し、今日のKDDIとなる)。
1998年(平成10年)に会社更生法の適用を申請した、複写機メーカーの三田工業からの要請により、同社を「京セラミタ」として京セラの子会社に編入。9年かけて達成されるはずだった更生計画を、僅か2年で達成する。
2010年(平成22年)2月、日本航空会長に無報酬で就任する。
「JALフィロソフィ」の策定など積極的な社員の意識改革に取り組み、全従業員の3分の1にあたる1万6千人のリストラを断行して、着任の翌期には営業利益1800億円の高収益企業に生まれ変わらせることに成功。赤字続きだった日本航空を3年足らずで再上場させた。
伊丹空港を視察した時、カウンター勤務の若い女性社員が月2千円のコスト削減効果を発表した。金額の少なさに周囲は困惑したが、稲盛氏は「そういう努力が一番大事なんだ」と大いに褒めた。この話はメールで部署を超えて広まった。
企業家の育成にも力を注ぎ、1983年には若手経営者の勉強会盛和塾を開塾。1984年に財団法人稲盛財団を設立して理事長に就任。1985年には同財団主催の京都賞を創設し、同年第1回授賞式で三笠宮崇仁親王夫妻やスウェーデン王国シルヴィア王妃列席の下、ノーベル財団に特別賞を授与した。
稲盛財団の現在の資産総額は1108億円で、民間で設立された財団法人としてはトップ5に入っているという。なお、盛和塾は2019年末をもって活動を終える。
1986年には京セラ会長に就任。1994年5月から1995年5月まで関西経済連合会副会長を務めた。
母校の鹿児島大学に個人資産を寄附して大学キャンパス内に新しいホール「稲盛会館」(建築家安藤忠雄が設計を担当)を寄贈したほか、稲盛アカデミーへの援助を行なう。
また地域社会はもとより国際社会において21世紀の更なる学術・文化の発展に貢献していくことを目的として、京都大学や九州大学の学術・文化趣旨に賛同し、稲盛財団記念館を寄贈竣工したほか、2013年11月、京都府に次世代を担う若者の創造教育の為に20億円を寄付し、2014年に完成した大学施設は稲盛記念会館と名付けられた。







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