昭和30年、夢のある貧困
- 高下 豊光
- 2021年12月17日
- 読了時間: 3分
昭和30年、まだ日本には貧困があった。
だが、今と違って、それは夢がある貧しさであった---

1955年製作/91分/スペイン 原題:Marcelino Pan y Vino 配給:東和=東宝
舞台は、聖マルセリーノ祭を迎えたスペインのある小さな村。
楽しげに丘の上の教会へ村人達が向う頃、貧しい家で病床に伏す少女を訪れた一人の僧侶は、この日にまつわる、
今は忘れられた美しい奇蹟の物語を話して聞かせる---
かつて戦争で荒れ果てたこの村が平和をとり戻し始めた頃、三人の老いた僧侶が訪れて来て丘の上の廃墟に僧院を建てたいと村長に頼んだ。
やがて農夫たちの協力で僧院は建立、十年後、いつか十二人となった僧侶らは静かな生活を送っていた。
ある朝、門前に幼い捨子を発見。彼等は赤児の両親が今は亡いと知ると、その日が聖マルセリーノの日であったことからマルセリーノ(パブリート・カルボ)と名付け世話を始めた。
僧侶らは心をこめた愛憎を注いだが、将来を考えた僧院長は子供を引取ってくれる家庭を探した。だが結局は失敗。
それは彼等が心秘かに願っていたことだった。五年の後、マルセリーノは天使のように無垢な悪戯っ子になっていた。
少年は僧侶らを見たままそれぞれ仇名をつけて呼んでいたが、いつか天国にいると思われる母親のことを想う日が多くなった。
ある日、野原で出逢った農家の若妻に母の姿を見た少年は、同じ年頃のマヌエルという男の子がいると知って、彼を空想の友達と考えて、
一人ぼっちの遊びも楽しいものにした。祭の日、村に行った少年の僅かな悪戯は思いがけぬ混乱に発展、負傷者まで出た。
村長の後を継いでいた鍛冶屋は、これを僧侶らに対する攻撃の口実とし、一ヵ月以内に僧院退去を命じた。僧侶たちは失望する。
何も知らぬ少年は一人、空想のマヌエルと遊ぶ中、納屋で十字架のキリスト像を発見、飢えと寒さで悩むように思われるキリストの許へパンや酒を運ぶ。
ある嵐の晩、やって来た少年にキリストは好意に報いようとその願いを尋ねた。
少年は天国のお母さんに会いたいと答え、古椅子に寄ったまま永遠の眠りに就いた。そのまわりには、どこからともなく光が輝く。
奇蹟は村中に伝わり、葬式には鍛冶屋始め総ての村人が参加した。
そして話し終った僧侶が僧院へ戻る頃、教会から村人は帰途に就き、マルセリーノの祭も暮れようとしていた。
やっと、白黒テレビが一般家庭に普及を始めた時代があった。たいていの家庭には乗用車はまだなかった。代わりに"リヤカー"という引っ張って歩く荷運び用のクルマがあった。周りには便利なものは何もなく、5月にはどこの家でも子供がいて、元気に鯉のぼりが空を舞っていた。
今では、周りに何でもそろっている。ただ無いものが一つだけある。---それは、希望だ。作家・村上龍より。
Comentários