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日露戦争・皇室とロスチャイルド

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月21日
  • 読了時間: 3分

20世紀初頭、朝鮮半島の利権をめぐり、日本は大国ロシアと戦うことになる。

当時、日本の目標は「ロシアとの引き分け」にあった。

だが、新興国であった日本には、強大国と戦火を交えるほどの資金力はなかった。

日銀副総裁の高橋是清は、資金集めに奔走した。米国では案の定失敗する。


高橋是清は、今度はヨーロッパに行き、ロスチャイルド家に援助を要請した。

日露戦争遂行のための日本国債を外国金融機関に購入してもらうため、欧州行脚した高橋是清については、有名なので、知っている日本人は多いと思う。

特に米国クーン・ローブ銀行のジェイコブ・シフが日本外債の購入を積極的に支援してくれたため、高橋は軍資金の調達に成功した。ジェイコブ(ヘブライ語ではヤコブ)・シフはロスチャイルドの米国総支配人で全米ユダヤ人協会会長でもあり、ロシアで迫害されているユダヤ人のために日本を応援したと言われている。だが、リスクを取った危険な投資だと思う。

パリ・ロスチャイルドは、既にロシアに大量の投資をしていた。そして、ロンドン・米国ロスチャイルドは日本に投資するのだ。戦争の両方に投資するのは彼らの常套手段であった。

アメリカ独立戦争でも同じことをしている。

これは、金融制度を作ってきたロスチャイルドだからできた手法だ。二つの国や勢力に戦争をさせて両方に大金を貸付け、買った方からは金利と成功報酬、負けた方からは担保である領土を取るのが彼らのビジネスなのだ。

高橋是清はまず欧州へ飛び、ロンドンの金融家のパーティーでロスチャイルド関係の銀行家から米国のヤコブ・シフを紹介されて米国に渡り、その任務に成功したことになっている。

 

ここでもう一人のキーマンが登場する。「アレキサンダー・アラン・シャンド」である。

彼は、日本銀行の立ち上げに活躍した人で、それもロンドン・ロスチャイルドの重鎮であった。1844年英国スコットランドの名門の生まれで、1866年に22歳で既に来日していた。

明治5年に明治政府の要請で日本銀行の創設のためのアドバイザーとして明治政府のお雇い外国人として再度来日している。また、明治政府が招聘したのか、あるいはロンドン・ロスチャイルドが、中央銀行の設置を指示して日本に送り込んだのかは定かではない。彼は、中央銀行、すなわち日本銀行の設立に多大の貢献をしている人物である。

日露戦争が不可避と判断した明治政府は当時日銀副総裁だった高橋是清を欧米に派遣して国債の募集に当たらせた。このときロンドン・ロスチャイルドへの橋渡しをアラン・シャンドに依頼したのではないかと推察できる。

日本皇室とロンドン・ロスチャイルドはすでに明治維新前後から深い関係があったと言われている。明治政府は、ロスチャイルドとその盟友サッスーン(トーマス・グラバーの親分)が経営しているHSBC銀行(香港上海銀行)の極東支店から、明治政府の立ち上げ時に、巨額の借入をしている。今でも日本橋のHSBC銀行東京支店の受付には明治天皇名の感謝状が飾ってあるそうだ。

英、米国ともにロシアに版図を拡大されては困るという思惑もあったのだろう。 ロスチャイルドは、これを絶好の投資機会と見たのだ。

後日談だが、アラン・シャンドは日銀立ち上げに際して、近代複式簿記普及の必要性を感じて、「銀行簿記精法」という書を執筆し、明治6年にジョン・万次郎と大蔵省の役人とで翻訳して世に出している。

明治日本に多大な貢献をしているのだ。ジョン・万次郎の名前がここにも登場する。

知っていましたか。


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