愛されていた「拓銀」その不本意な退場
- 高下 豊光

- 2021年9月7日
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1997年、都市銀行の一角を占めた北海道拓殖銀行(拓銀)が経営破綻した。

1900年に北海道開拓を目的とする国策銀行としてスタートし、55年には都市銀行に転換した大手銀行の破綻劇は、当時、大きな波紋を呼び、金融市場をパニックに陥れた。
拓銀は道内を地盤に、全盛期は首都圏や関西、ニューヨーク、ロンドン、香港などにも支店を置き、拡大路線を進んだ。
地元では「たくぎん」、道外では「ほくたく」の愛称で呼ばれ、イメージキャラクター「みんなのたあ坊」とともに親しまれた。
ところが、バブル期の過剰な貸し付けが不良債権化し、90年代半ばに経営危機に。
すると、「大手銀行は1行たりとも潰さない」という大蔵省の公約は反故にされ、97年11月17日、都銀初の経営破綻に陥った。 そして、金融市場がパニックに陥ったのだ。
拓銀は北洋銀行に営業譲渡され、98年の歴史に幕を閉じた。
拓銀の最後の頭取となった河谷禎昌は、10年にわたる法廷闘争の末、最高裁で有罪が確定。先ごろ話題となった日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ「特別背任罪」で実刑判決を受け、70歳代半ばにして、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。
大手銀行の経営トップで収監された例は他にはない。
バブル経済は「根拠ない熱狂」とよく云われてきた。
日本中誰もが浮かれていた。

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