年収10年分以上の価格が付いた球根
- 高下 豊光
- 2021年9月11日
- 読了時間: 4分
あなたは、それを買いたいと思いますか?普通の人は、いや普通でなくても、まず買おうとは思いません。ホリエモンでも買わない。

しかし、1600年代(日本の江戸時代初期)のオランダには、そんなチューリップの球根が実際に存在したのだ。これは「チューリップ・バブル」と称される事件で、世界最初のバブル経済事件と言われている。
オスマン帝国から輸入されたチューリップの球根がオランダで人気を集め、球根の価格が上がっていくことで、今度は人々が、チューリップ投資(投機)に熱狂するようになったのが、はじまりであった。
わずか数年のうちにチューリップ価格は跳ね上がり、ピーク時には、品種によっては、球根1個で馬車24台分の小麦、豚8頭、牛4頭、ビール大樽4樽、数トンのチーズ、バター2トンが買える程の高値がつくまでになったという。
そして、1637年 2月 3日、突然に、球根の価格がピーク時の100分の1以下にまで下がり、オランダの経済が大混乱に陥ったのだ。
当時のオランダでは、スペインとの独立戦争が収束方向にあって、オランダの経済が活発になってきていたという時代背景があった。
経済の活性化に伴って、株価や住宅価格が上昇し、だんだん豊かな生活を送ることができるようになる中、お金持ちの間で、観賞植物としてチューリップが流行していたのだ。
チューリップは、球根にウイルスが感染することによって、突然変異しやすく、そのため美しい模様が入った花を付けることがある。この模様をつけたチューリップは希少価値があり、高値で取り引きされるようになる。
しかし、当時の科学では、ウイルス感染のメカニズムは解明されておらず、人々は偶発的な突然変異種の発生に頼っていた。つまり、模様のあるチューリップの球根を買っても、次に模様がついた花が咲くとは限らない状態だった。
品種によっては1個の球根で、巨額の富を掴む可能性があったため、模様のついた花が咲くかどうかわからないというリスクがあるにもかかわらず、多くの人が球根を買い求めるようになりました。そうして球根を買い求めたのは、もちろん、球根を植えて花を咲かせて楽しもうという愛好家ではなく、球根を転売して一儲けしようと企む一般市民であった。
その後、噂が噂を呼んで、オランダ中の都市にチューリップ・ブームが広まり、その価格は、どんどん上昇していくのだ。
常識的には考えられない位に高騰したチューリップの球根に、次第に「買い手がいなくなるのでは?」という不安が市場に広がり始める。根拠なき熱狂が終わる時があるのだ。
そして、1637年 2月 3日、「隣町で買い手がいなくなった」という噂をきっかけに、球根価格は突如暴落した。
このチューリップ・バブルの場合、最初は現物取引であったが、やがて球根を先物取引で売買していくのだ。
つまり、まだ球根が出来ていない段階で、「春になったら球根を買いますので売ってくださいね」という「約束(=証書)」を売り買いしていた。
だから、春になる前に、この「約束」が反故されても、球根を売ろうと育てていた農家の人は、球根が手元に残る訳なので、被害は少なかった。
問題は、転売目的で先物取引をしていた人たちで、債務不履行の連鎖で、ほとんどの人が代金を回収できなかったのだ。
だが、よく考えてみれば、そもそも市場からかけ離れたありえない値段の「約束」であった。
バブルが崩壊した直後は、代金の取り立てで多くの人が一文無しになったようであるが、実際にこのチューリップ・バブルも、崩壊の翌年に、政府が合意価格の 3.5%の支払いでチューリップの売買契約を破棄できると宣言して、混乱が収束した。その後は、チューリップの球根は、以前の球根の値段に戻って普通に取引されるようになった。
最初から転売目的で取引に参加する人々(投機家)が、市場に大量に参加し始めると、バブルが発生していくのだ。
新たに投機に参加してくる人々は、投資商品自体(チューリップ)の価値には全く興味がなく、金額だけで投資する傾向が強まっていく。
また、見通しが明るいと思われる時期ほど、投資する時の頭金は少なくて良くなる傾向にある。このような信用取引で投資を行った結果、実態経済以上に取引額が膨れ上がっていく。
こうして根拠なき熱狂に人は浮かれるのだ。

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