岡山の中国銀行、職員奇跡の脱出
- 高下 豊光
- 2021年12月14日
- 読了時間: 2分
ニューヨークが揺れた日
---アメリカ9.11同時多発テロの衝撃

平成13年9月11日、国際テロ組織「アルカイダ」の犯行とされる前代未聞の同時多発テロが起きた。
航空機が激突したのは、世界貿易センタービルであった。犠牲者は、日本人24名を含む2800名。
事件当日、北棟90階には中国銀行(岡山本店)のニューヨーク支店があった。
午前8時半すぎ、キーンという耳慣れない高い音がつんざいた。振り返ろうとした瞬間にドカーンという衝撃に見舞われた。
そして、オレンジ色の巨大な炎が窓の外一面に広がった。
その直後に、ビルがゆっくりと大きく揺れた。
折れるのかと思ったぐらいであった。
揺れが収まったときには停電になっていた。室内は暗く、よく見えなかった。「とにかく、すぐに逃げよう」重要な書類など、持ち出す手順がマニュアルに記されているが、
とてもそんな余裕はなかった。そのとき、幸運にも電動式のドアが破損して、急いで室外に出られたのだ。もう少し頑丈なドアだったら外に出ることができなかった。
背広を急いで脱ぎスプリンクラーの水に浸し、マスク代わりに口をふさいで、舞い上がる粉塵をすわないようにした。
ようやく3階まで下りてきたとき、また大きな音がした。南棟が崩落したのだった。
別のビルとの間に空間通路があったのでそれを伝って非難できた。するとそれから10分も間を置かず、支店があった北棟が崩落した。
危うく難を逃れていた。思えば、何もかも幸運であった。航空機に激突されたのは、94階付近。中国銀行の支店は90階にあったのだ。
そして出入口ドアの破損。無事であれば停電しているから、すぐには脱出できなかった。そうなれば、階段を駆け下りる途中で北棟は崩落していただろう。
なんという偶然の重なり合いだろうか。
我々より早く北棟から逃げ降りた人の中には、南棟の崩落に巻き込まれてしまった人もいた。
中国銀行の職員は、8人が全員生還できたのだ。
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