奇跡・復活を遂げた丸亀町商店街
- 高下 豊光
- 2022年2月1日
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全国の地方都市でシャッター街が目立つようになったのは1980年代後半である。
中小企業庁の「商店街実態調査」によれば、70年には「繁栄している」と答えた商店街が40%であったが、90年に10%を切り、2000年には2%となった。
90年までは、「地元商店vs大型店」という構図だった。73年に大店法(大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律)が制定され、大型店の出店規制が行われるようになった。
しかし、その効果はいつまでも続かなかった。70年代まで増加の一途だった商店数は、82年の172万店をピークに減少に転じ、91年には159万店となった。
商店街の衰退に追い打ちをかけたのは、91年の貿易をめぐる日米構造協議をきっかけとした大店法の運用緩和である。
米国が大型店の出店規制を非関税障壁の一つとしてやり玉に挙げたのである。
規制が緩和されると、大規模店舗の立地が可能な郊外にショッピングセンターの進出が相次いだ。
見事に復活を遂げた丸亀町商店街

その結果、中心市街地での買い物客が減り、地域の小規模商店街だけでなく、百貨店などが立地する地方都市の商店街も衰退していくことになった。
そして中心市街地にある大型店の店舗売り上げも失速していったのである。
都市の顔ともいうべき中心市街地の衰退を目の当たりにし、その活性化が政府の中心テーマとなった。
1998年には大店法を廃止し、都市計画などで大型店の郊外への立地規制を強化し、意欲ある商店街を支援する中心市街地活性化法が制定された。しかし効果が乏しく、2006年に改めて制度の強化が図られた。
それでも多くの商店街の衰退に歯止めがかからなかった。政府も戸惑いを隠せない。世耕弘成経済産業相は、17年4月の参院決算委員会で、中心市街地活性化策について「もう一度よく棚卸しして、何かもう少し分かりやすい一元的なやり方がないのかどうか、あるいはもっと効果的なやり方がないのかどうか、あるいはやめた方がいいのかということも含めて抜本的に見直していきたい」と答弁している。

本当に中心市街地は活性化できないのか。
ここでは香川県高松市丸亀町の商店街の成功例を見てみよう。
高松丸亀町商店街は、香川県の県庁所在地・高松市の中心市街地にある。城下町の時代から続くメインストリートにあるかつての「札の辻」は、直径25メートルの大きなガラスのドームに覆われた広場に作り変えられ、市内で最もにぎわうイベント空間となっている。
商店街はそこから南へ470メートル続き、A〜Gの7街区からなる。A〜C街区とG街区の整備が進み、商店街の両側の建物は必要に応じて共同建て替えが行われ、3階の上にガラスのアーケードが架けられた。高さは従来の2倍の22メートルだ。
道の両側には回廊がめぐり、上層階へ行く階段やエスカレーターが取り付けられ、アトリウムのような快適な空間になっている。C街区でエスカレーターに乗って2階へ昇ると、緑のあふれる中庭があり、四国特産の食品や工芸品、雑貨などを集めたライフスタイル・ショップ「まちのシューレ963」が出迎えてくれる。
商店街の4階から上にはマンションが整備されている。ここに暮らす住民は「玄関を出たらすぐ三越」という街中に暮らすメリットに加え、「まちのシューレ963」の上層階に診療所が設けられているので、在宅で高度医療、終末医療を受けることもできる。健康・福祉・医療サービスは、高松市の中心市街地の新たなセールスポイントとなっている。
こうした再開発の結果、商店街は復活を遂げた。1995年に1日に2万8000人を記録した通行量は、その後9500人にまで落ち込んだが、現在2万5000人に持ち直している。居住人口もわずか5人から1000人(321戸)へと増加。商店街には157店が入居しているが、空き店舗率はゼロである。
高松丸亀町商店街振興組合が、相次ぐ郊外開発に危機感を覚え、再開発に乗り出したのは1988年の開町400年祭の時である。次の100年も生き延びられる商店街をめざして模索が始まった。紆余(うよ)曲折の末、2006年12月にA街区の市街地再開発事業が竣工(しゅんこう)。その後ドームを作り、C街区の建て替えを行い、商店街の上に新しいアーケードを架けた。12年にはG街区が竣工。D〜F街区の再開発事業は継続中である。
再開発を行うためには、城下町時代に短冊状に細分化された土地の上に共同でマンションを建設する必要があった。そこで、個々の土地所有権には手をつけずに共同でビルを建て、地権者たちが設立した会社が取得・運営する仕組みを作った。住民自身がデベロッパーになる事業スキームで、このような会社を「まちづくり会社」と呼んでいる。
小泉政権は、米国のポチ政権であった。
米国の言いなりになり、自由競争原理を推し進め、その結果、雇用環境を破壊し、地方の商店街を破壊した。さらに郵政を粉々にした。万死に値するほどの悪影響を与えている。
国の行政に任せると地域は疲弊する。地域の職住空間は、地域の手で再生すべきだという好例である。
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