奇跡の音調、宮沢和史の「島唄」
- 高下 豊光
- 2021年9月29日
- 読了時間: 2分
沖縄発信ではなかった「島唄」の真実。
その独特な音調から誰もが沖縄発信の楽曲だと思った。
それが宮沢和史の「島唄」であった。

その独特な音調から、誰もが沖縄発信の楽曲だと思ったという。
それが宮沢和史の「島唄」である。彼は、山梨県生まれだ。沖縄の「ひめゆり平和記念資料館」を訪れた際に、
ひとりの老婆から悲惨な戦争体験を聞くことになる。
同時に彼は、沖縄の自然の美しさに魅了された。
そして、天から舞い降りた旋律が「島唄」なのであった。
彼は、その老婆に聴いてもらいたい一心でその曲を書きあげた。
「島唄」の歌詞をかみしめて聴いて欲しい。米軍が上陸した沖縄での戦闘は、悲惨を極めたそうだ。
このなかで、集団自決を暗示するような場面がある。
「島唄」は沖縄音階で作曲されている。ところが、その箇所だけは、通常の内地での音階になるのだ。
それが、何故だかお分かりだろうか。変調には恐るべきメッセージ性が込められているのだ。それは、『私たち沖縄人は、内地の犠牲になったのだ』という、誰にもぶつけようのない怒りである。
同曲が発表されたのは、1992年。宮沢は「『島唄』を作る前に、初めて沖縄音階を取り入れた『100万つぶの涙』という戦争で妻を失った男の曲を作ったんですが、当時は沖縄の地上戦がいかに悲惨だったかを知りませんでした。それから戦跡や資料館を巡り始めて、沖縄のひめゆり平和記念資料館に行ったとき、語り部のおばあさんに出会ったんです。そのおばあさんの抱えている怒りや悲しみ、さまざまな感情を少しでも癒やしてあげるために何ができるか考えたとき、僕には歌しかありませんでした」と当時の思いを語っている。
そのおばあさんのために作った「島唄」は、1992年に発表したアルバム「思春期」に収録され、同年12月、沖縄限定で「島唄(ウチナーグチ・ヴァージョン)」が発売された。その後全国発売された同曲は、150万枚を売り上げるヒットとなったのだ。

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