天才作家「見沢知廉」の自殺
- 高下 豊光
- 2021年10月4日
- 読了時間: 2分
2005年9月7日午前5時半頃、マンションの8階から男性が飛び降りた。
隠れた天才作家「見沢知廉」46歳の最後であった。

三島由紀夫に憧れ、過激な政治運動に身を投じてもいた。獄中では5000冊もの本を読み、狂ったように小説を書きまくった。
獄中で書いた「天皇ごっこ」は、1994年に第25回新日本文学賞に入賞する。出所した後に次々とヒット作を発表した。
本屋の棚には、三島由紀夫の隣に見沢知廉の作品が並べられていた。作家名がアイウエオ順に並んでいるからだ。
それは、見沢知廉があえてそうなるように考えてペンネームを付けたからでもある。
「調律の帝国」は、第11回三島由紀夫賞の最終選考にまで残った。
12年にわたる獄中生活は、文字どうり地獄だったが、三島由紀夫賞を取るためにギリギリの勝負をかけていた。
思えば収監中の「拘禁反応」で発症した躁うつ病が彼を苦しめていたのだろう。飛び降りたが遺書はなく発作的な自殺であった。
単なる作家では終わりたくない、という内に秘めた野望と格闘してきた。三島由紀夫のように「盾の会」のような政治結社を持ちたいとも考えたこともある。
見沢知廉が所属していた右翼団体が「一水会」である。
その代表が「鈴木邦夫」であった。鈴木は「どんなことがあっても見沢知廉は自殺などしない」と思っていたという。
普通なら獄中で発狂するか死んでいただろう、見沢知廉は地獄を味わってなお出所してきたのだ。だからあんなに強い男はいないと思っていた。
だが、真相は繊細な心を持った折れやすいただの人間だったのだ。
見沢知廉、享年46歳、将来有望な作家のあまりにも突然の死であった。

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