夢をあきらめない「松崎しげる」の挑戦
- 高下 豊光
- 2021年9月13日
- 読了時間: 2分
彼は、中学、高校と野球漬けの日々を送っていた。夢はプロ野球選手になること。
だが、甲子園を目指すも怪我によって断念する。

そのために彼は、大好きだった音楽を目標にしたのだ。
ところが、食うに困る毎日が続く。
周りの人が、次々に音楽シーンに飛び出していった。
たとえば、一緒にバンドを組んでいた仲間の一人は、「ガロ」を結成し、ビッグヒットを飛ばした。
さらに、当時松崎しげるのマネージャーをしていた「宇崎竜童」は、ダウンタウン・ブギウギバンドで
ブレイクした。
このときほど悔しい思いをしたことはなかったそうだ。
当時、CMのメロディソングを歌っていた松崎しげるは、相変わらず食えなかった。
友人で役者志望の「西田敏行」も同じように泣かず飛ばず。二人で酒を飲みに行っては、愚痴をこぼしあっていた。
後に大ヒットを記録した「愛のメモリー」も、あちこちに持ち込んでみた。
どの会社でも「こんな曲調では--」と否定的なコメントばかりだった。
ところが、六本木の店で西田敏行と一緒に弾き語りをしていたとき、たまたまテレビ局のディレクターが来ていた。二人の面白さに彼は興味を持ったのだ。
そして番組出演にオファーすることに--
松崎しげると西田敏行の人生が一変することになる。
「愛のメモリー」はCMに採用され、爆発的なヒットを記録。
レコード大賞歌唱賞を受賞した。
人気歌手「松崎しげる」の誕生であった。
彼は回想する。
つらい時期、辞めたいと思うとき、いろんな時期がある。
でも、「あきらめない」、これが人生で一番大切だと思う。

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