夢で発明?ミシン誕生のエピソード
- 高下 豊光
- 2021年9月22日
- 読了時間: 3分
シンガーはミシンのメーカーである。同時に代名詞にもなっている。
良く調べるとこのシンガー、実は発明者の名前であった。

昭和40年代頃(1970年~)までは生活の必需品であった。
当時は手頃な価格の既製服、洋服を販売する店は少なく、生地を買って自分で作るのが当たり前だった。
そのため、多くの女性が洋裁を習い、洋服の型紙は女性誌の人気付録だったという。
またミシンは必須の嫁入り道具で、婚姻件数とミシンの生産台数はほぼ同じだといわれていた。
ミシンの発明につながる機器を生み出したのは、イギリスの牧師、ウイリアム・リー(1562年~1610年)である。
当時はメリヤス編み靴下の需要が高く、手編みで生産されていた。彼は妻が毛糸を編むのを見て、機械編みを思いつき、1589年、9年の歳月をかけて、手動の編立機械を完成させた。
このリーの機械で作られた編み目は、最初のミシンの縫い目につながる「単環縫い(針1本だけで作られる縫い目。生地表面の縫い目は本縫い同様に見えるが、裏面は鎖目となっている)」になっていた。
リーはエリザベス女王に特許を申請するものの許可は下りず、パリに渡って研究を続けた。
彼の死後、技術と編機は弟ジェームスと親戚に引き継がれ、後にイギリスで製造され、欧州各国に普及していったという。
ドイツ人のチャールズ・ワイゼンソールは、両先が針で中間に針孔のある針を用いたミシンを作り、1755年、イギリスで特許を取得している。続いてロンドンの指物師トーマス・セントが、環縫いミシン(チェーンステッチミシン:1本の糸を連続して鎖状に縫う)を発明する。
1790年、英国特許1764号として認可された本機は、ミシンの構造原理として、公式に認められた最も古い記録となっている。しかし、セントのミシンは特許庁の衣料品部門に分類されたため、長い間、陽の目をみることはなかった。
初めて実用に値する完全な本縫ミシンを発明したのは、アメリカのエリアス・ハウである。
「先端に穴のある針を使用」「二重縫いを可能にするボビンを布の下に設置」「布を自動的に送る」という、現代のミシンとも共通する特徴を備えたハウのミシンは、1846年にアメリカ合特許を取得している。
なお、1867年、ミシンの発明に対し、彼はナポレオン3世からレジオンドヌール勲章を送られた。
ハウの「針の先端に糸通し穴を開ける」という画期的なアイディアは、夢から生まれたという。
ある日、ハウは野蛮な国の王のため、24時間以内にミシンを作らなければ処刑されるという夢を見る。
彼は必死で作ろうとするが完成できず、兵士たちの元へ連行されてしまうのだ。その時、兵士たちが持つ槍の穂先に穴が空いていることに気付いたのである。ハウは先端に穴のある針を作り、それが完成につながった。
1850年には、「アイザック・メリット・シンガー」がウォルター・ハントの協力を得て、ミシンの改良研究に着手。
翌年、I.M.Singer社を設立すると、現在とほぼ同じ構造を持つ「綻縫式ミシン」の特許を取得し、1853年には第1号機(足踏み式の実用ミシン)を発売した。
1855年には海外進出開始し、パリ万国博覧会で最優秀賞受賞。
シンガーはその後も発展を続け、現在も老舗ミシンブランドとして知られている。

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