名門企業消滅、雪印への憂鬱
- 高下 豊光
- 2021年9月26日
- 読了時間: 2分
雪印集団食中毒の最初の症状が確認されたのは、2000年6月25日である。
雪印乳業大阪工場で製造された雪印低脂肪乳を飲んだ子どもが嘔吐・下痢の症状を訴えた。
6月27日には大阪市保健所が市内の病院から食中毒の疑いの通報を受け、6月30日に大阪工場に対し製品回収を指導した。

食中毒の被害は、保健所が通報を受けた頃あたりから既に各方面から報告されていた。
しかし、当初大阪工場はすぐに対応しなかった。事件のプレス発表及び製品回収の開始をしたのは6月29日のことだった。
公表されたことで、被害の申告者が急増した。大阪のみならず隣県の兵庫や和歌山からも被害を訴える声が発生し、被害者は総勢15000人近くにも及んだ。
症状自体は、嘔吐・下痢などの比較的軽いものだったが、入院に至った患者や、小さい子供の被害者もいた。
原因は、北海道にある大樹工場の停電であった。2000年3月、氷柱が落下したことにより、生産設備が不具合を起こし、3時間の停電状態となる。
タンクには脱脂乳が温められた状態で放置されたため、黄色ブドウ球菌が増殖し、毒素が発生していた。
当時の管理者が、この状態でも加熱処理すれば問題ないという判断を下したが、加熱殺菌では毒素までを除去できずに、詳細な検査がなされないまま、そのまま製造に回されることとなったのだ。
さらに、食中毒が起きた後の対応の悪さは、責任者とは言いがたい稚拙なものであった。最初のミスで被害の兆候を見抜けずに、通常の苦情の範疇として処理、被害が想定できてからもブランドイメージが傷つくのを恐れ、プレス発表などが遅れたと報じられている。
とにかく役員の対応が後手に回ってしまった事件といえた。世間のフラストレーションは、爆発寸前であった。
決定的だったのは、社長の不用意な言動である。記者会見を求められた際、「会見時間は10分」と前置きし、マスコミからの質問攻めに合った際に「寝てないんだよ!」と逆ギレ発言をやってしまう。この「寝てないんだよ」発言を始めとして当時は猛バッシングの対象となってしまった。
乳業業界は衛生管理には、優れていなければならない、という共通認識が世間にあった。この集団食中毒事件は、その被害の大きさとともに社会に衝撃を与えたのだ。名門企業復活のために、関係者は塗炭の苦しみを味わうことになった。

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