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千本倖生氏、イーモバイルの挑戦

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月15日
  • 読了時間: 3分

千本 倖生(せんもと さちお、1942年9月9日 - )は、日本の実業家(フロリダ大学Ph.D.)イー・アクセス株式会社の創業者。


2014年3月まで同社取締役名誉会長を務めた。2014年3月に同社取締役名誉会長職を退任。同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任。

日本における通信事業開拓者の一人として知られる人物だ。京都大学卒業後、日本電信電話公社(現在のNTT)に入社。

フルブライト奨学生としてフロリダ大学へ留学し、電子工学の修士・博士(Ph.D.)の学位を取得する。

また、電電公社近畿電気通信局部長(当時42歳)時代に自社・電電公社の通信独占状態に異議を唱え同社を退社した。

大阪のコーヒーバーで電電公社に対抗する新しい通信事業会社の構想を京セラ社長(当時)の稲盛和夫に説き、1984年に稲盛と共同で第二電電株式会社(現在のKDDI)を創業し専務に就任した。

DDIでは通信自由化により専用線事業、市外電話事業を興し、続いて携帯電話事業(DDIセルラー、現在のau)、PHS事業(DDIポケット、ウィルコム→イー・アクセスへの吸収を経てワイモバイルへ。

現在はソフトバンクに吸収)を立ち上げ軌道に乗せ、1994年にDDI副社長 兼 DDI東京ポケット電話社長に昇格した。

稲盛和夫と同じくベンチャー精神にあふれた野心家の登場である。

それは1983年9月、京セラの創業者・稲盛和夫氏との出会いだった。 独占企業体の電電公社も80年代に入り、技術の発展と自由化を求める時代のうねりの中できしみ始めていた。 83年1月、千本氏は電電公社の近畿電気通信局技術調査部長となり、大阪に赴任。関西財界の経営者らに情報通信革命の時代に何をなすべきかを説いて回った。

次第に関西地区での「INS(高度情報通信システム)構想の伝道師」と呼ばれるようになった。松下電器(現パナソニック)の創業者、松下幸之助氏やサントリーの佐治敬三氏、ワコールの塚本幸一氏との親交が深まったのはこの頃だった。

電電公社の民営化議論も進んでいた。民間企業として切磋琢磨している経営者たちを目にして、千本氏は「単に民営化すれば、それでいいのだろうか」という疑問を持つようになった。千本氏はINS構想について講演するたびに、経営者たちにこう呼びかけた。 「ただ巨大企業が民営化するだけでは、お客様のためにはならない。複数の企業による健全な競争があってこそお客様のためになり、業界の発展にもつながる。電電公社に対抗する純粋な民間資本の会社をつくらねばなりません」

京都商工会議所で開かれた講演会でもそう呼びかけた千本氏の前に現れたのが稲盛氏だった。講演会をきっかけに、稲盛氏の経営哲学や経営手腕に惹かれていった。83年の晩秋、稲盛氏に「電電公社に対抗する、民間の通信会社をつくりませんか」と提案したのだ。それが第二電電(DDI、現KDDI)の設立につながり、千本氏の人生のターニングポイントとなった。起業家人生の始まりだった。

千本氏は、NTTのエリート社員にして年収は軽く1千万円を超えていた。それをなげうって自分が理想とする第二電電に賭けたのである。稲盛氏は、その構想を聞き100億円の投資を即決している。

現在、安くて誰でもネット接続が可能になっているのは、行動力のある優れた先達たちのおかげである。


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