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前畑ガンバレ!女子選手初五輪金メダル

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月12日
  • 読了時間: 2分

前畑秀子は、1914年(大正3年)和歌山県橋本市で生まれた。

教科書が教えない昭和の偉人


---「前畑ガンバレ!」女子選手初の五輪金メダル

近くの紀ノ川で幼いころから水泳になじみ、小学5年の夏に学童水泳大会に出場した。

この大会の50メートル平泳ぎで新記録を出し、俄かに注目される。

そして、彼女の才能に注目した校長の奨めがあって高等科(現在の中学校)に進学する。

周囲の期待にこたえ続ける努力家の彼女は、次々に新記録を出していくのだ。

彼女は、家業を継ぐために、さらなる進学はあきらめていたが、名古屋の椙山女学校から水泳を続けて欲しいと入学の誘いがあった。

ところが入学後に悲劇が待っていた。あろうことか、父母が相次いで病死するのだ。

彼女のショックは大きく、水泳どころではなかったという。当然、退学を決意した。

しかし、周囲の期待は、前畑秀子をそのままにしなかった。

女学校の校長や親族、友人たちは彼女を励まし、以前にも増して彼女は猛練習に明け暮れるようになる。

当時は、まだ温水プールなどがない時代だ。春先の水の冷たい日には、冷えた身体を風呂で温め直してはプールに入ったという。

そうやって連日2万メートルを泳いだのである。

前畑秀子は、1932年(昭和7年)に開催されたロサンゼルス・オリンピックに出場。

200メートル平泳ぎで0.1秒差の2位になった。

この活躍にすべての日本人が沸き返ったのだ。

「是非とも次は金メダルを」と、国民の期待はいやが上にも盛り上がり、もう収拾がつかなくなっていた。

当時は20歳を過ぎて競技を続ける女子選手は世界的にも居なかった。

彼女は、次の五輪出場を決意した。

そして4年後がやってきた。

それは、ベルリン大会であった。

だが、その大会には地元ドイツの強豪選手がいたのだ。金メダルに最も近い選手「ゲネンゲル」である。

レースが始まった。前畑秀子とゲネンゲルは大接戦を演じたのだ。

--実況中継でアナウンサーは大興奮する。。

--「前畑、ガンバレ、前畑ガンバレ、前畑ガンバレ、前畑ガンバレ」

全国民がかたずをのんで見守り、金メダル獲得をわが事のように喜び合ったのだ。

前畑秀子は、1995年(平成7年)80歳の生涯を終える。

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