刑場の露、神童中川智正
- 高下 豊光
- 2021年12月13日
- 読了時間: 3分
中川智正は、坂本弁護士一家殺害の現場に居合わせた。

理由を尋ねた接見の老教授に『彼らの後に続いて一番後ろから部屋に入ったのです』と、応えている。
--あなたは、家族に筋肉弛緩剤を注射しましたね.
『メンバーから注射しろ、とうるさく云われたのです』
まるで、彼には殺意が無かったような云い方だ。
弁護士一家失踪事件は、解決が予想以上に長引いた。
当初、オウム真理教が関係していることは、捜査関係者も考えていた、にも関わらず難航していた。
理由の一つに、TBSをはじめテレビ局によるオウム擁護の、捜査をかく乱する報道があったことは否めない。
坂本一家の自宅には、オウムの犯行を示唆する「プルシャ」と呼ばれるオウム真理教のバッジが落ちていた。
やがて、犯人が特定され彼らの犯行が明らかになった。
週刊誌報道に、「バッジを部屋に落としたのは、中川智正で、マヌケな男」と書かれていた。
だが、と編集長の私は思う。「中川智正」は、常に冷静でしかも知的な医師だ。
彼がうっかり証拠品を落としてくるなんてことがあるだろうか。
しかも、抵抗する坂本夫妻を押さえつけたのは、「中川智正」ではない。
よって、彼のバッジがはじけ飛ぶはずがない。彼は、仲間に見られないように、
こっそり部屋の片隅にバッジを置いたのだ。
「これはオウムの犯行です」と「中川智正」は、捜査員に告げようとしたのだと考えている。
では、彼は、なぜオウムの重大な犯罪に手を染めていったのだろうか。
編集長は、彼が「麻原彰晃」に帰依したというより、
むしろ「次に殺されるのは自分だ」という恐怖心だったのではあるまいか。
「中川智正」は、現実に「ポア」されていく出家信者を幾人も見ているのだ。
地元岡山で小学生のころから知っているという人は、「誰にでも親切だった。車椅子の障害者を見つけると
いつでもその背中を押してあげていた」という。しかも礼儀正しい、よくできた子供だったという。
彼は「神童」とさえ云われたのだ。
おそらく彼は、両親にとって「自慢の息子だったであろう」
そんな好青年をかように変えてしまうとは、"新宗教"とは、なんと罪な存在であることか。
運悪く、という云い方は控えたいが、単なるヨガ道場として、たまたま目に入ったのが「オウム神仙の会」だったのだ。初期の幹部だったほとんどが宗教には何ら関心がなかった。
他にも、夥しい人たちが、オウム・ヨガサークルに入り損ねただろう。
運悪くヨガ・サークルに入会出来なかった迷える子羊たちは、なんとなく人生の命拾いをしたけれど、
反対に、運よく入会できた人が麻原彰晃に蝕まれて、死刑台へと人生の歩みを続けてしまったのだ。
都合15回も接見を繰り返した老教授に告げた最後の言葉「先生もお元気で--」
それは老教授の心に届いただろうか。
「中川智正」の不本意な、しかも無念の思い。
より多くの「人命」を救いたい--彼はそう願って医師になった--はずであった。
死刑執行、「中川智正」は不本意な人生を「死刑」によって終わらせた。
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