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何故、富士フィルムは多角化に成功したのか

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月7日
  • 読了時間: 3分

富士フイルムHDが中堅製薬会社の富山化学工業を買収して医療用医薬品事業に本格参入したのは、08年のことだ。


当時すでに富山化学工業はアビガンをインフルエンザ治療薬として開発中で、14年に国内で製造販売承認を取得した。

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ただし富士フイルムHDが中堅製薬会社の富山化学工業を買収して医療用医薬品事業に本格参入したのは、08年のことだ。


当時すでに富山化学工業はアビガンをインフルエンザ治療薬として開発中で、14年に国内で製造販売承認を取得した。


ただしアビガンが薬価収載(医療用医薬品の公定価格リストに載ること)されることはなく、その後、新型インフルエンザ対策の政府備蓄薬として買い上げられた。

アビガンは、市場には流通しない、有事の際にしか使われない不思議なクスリである。

そのため、薬価収載(医療用医薬品の公定価格リストに載ること)されることはなく、その後、

新型インフルエンザ対策の政府備蓄薬として買い上げられた。

富士フィルムは、小西六、コダックと並んで市場を押さえていた。市場占有率のトップは小西六(サクラ)だった。

富士は、巻き返しを図るべく、膨大なCMを流した。さらに富士フィルムは、ヒット商品「写ルンです」が市場を席捲した。

この新商品は、市場からカメラをわずかだが駆逐する。

ところが、現像フィルムの需要は、ある日突然消失するのだ。市場が突然消えてしまったのだ。なぜだろう。

それは、フィルムを必要としないデジタルカメラの登場である。

さてどうするか。富士フィルムの首脳は、連日対策会議を開く。デジカメが普及していくと、我々の市場が消えてしまうのだ。

彼らは、結論を出すのだ。「もう、アカン。これからはフィルムでは喰えへん」そのころ、頼みとした「1眼レフカメラ」でさえもデジタル化する。

一刻の猶予もなかった。多角化は急務であった。まず我々のフィルム製造技術を活かしてできることをやろう。

まず、考えられるのは、化粧品だ。次に、製薬であった。そして、買収できそうな企業を洗い出した。

株式公開買付けを利用して「富山化学工業」の入手に成功する。ちょうど、この富山化学では、アビガンの開発に成功していた。

富士フィルムは、すぐに子会社にしたのだ。


ちなみに小西六は、ミノルタと合併し、コニカミノルタとなり、それもソニーに吸収合併された。

では、コダックはどうなったのか。実はデジタルカメラを最初に考えたのが、このコダックの技術者であった。

だが、経営者の賛同を得られず、デジカメ参入を断念した。やがて、コダック倒産。

多角化に成功した富士フィルムと、何と差があることだろうか。

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