伊藤博文暗殺、日本の韓国支配に警鐘
- 高下 豊光
- 2021年9月23日
- 読了時間: 2分
1909年、日本の最初の首相「伊藤博文」がハルピンで暗殺される。
旅順の刑務所で、「安重根」の監視役を担っていたのは、憲兵でもあった関東軍上等兵の「千葉十七」であった。
千葉は、当初こそ激しい憤りを感じたが、「安重根」に接するうちに、ひょっとしたら彼の言い分も一理あるかもしれないと思うようになる。

「安重根」は、伊藤博文個人に恨みはないものの、日本帝国の韓国支配にこそ責められるべきだとして、15条に及ぶ犯行声明を発表している。そして、自分たちの行為は、国家を愛するが故の義挙であると主張した。
彼は、その主張を裏付けるように、獄中では常に素直で礼儀正しい態度を崩さなかったという。
その安重根は、千葉に述べる。
「国の平和とは、貧しくとも人々が独立して生きて行けることだ」と。
翌1910年2月24日「安重根」に死刑の判決が下された。だが、彼は控訴しなかった。それは、母親からの手紙を受け取っていたからである。
「あなたの死は、あなた一人のものではない。あなたは全韓国民の公憤を背負っているのです。控訴などすれば、あなたは単なる命乞いをすることになってしまう」
千葉十七は、安が控訴しないことを知って驚くのだが、母の手紙を知り、彼がいう義挙だったことに疑念の入り込む余地はなかった。祖国を思う心は、二人に共通したものであった。千葉は、安に頭を下げたという。
処刑の日、「安重根」は、千葉に返礼の書を送った。
書かれていた言葉は、「為国献身軍人本分」
意味を添えておく。
「国のために身をささぐるは軍人の本分なり」
今でも韓国内で「安重根」は、尊敬を集めているという。
その理由の一端が分かったような気がしている。

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