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リチャード・ブランソンの冒険人生

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月11日
  • 読了時間: 3分

いまや全欧一の大富豪。彼の第一歩は、小さなレコード販売店に過ぎなかった。

サー・リチャード・チャールズ・ニコラス・ブランソンは、1950年、英国ロンドンで生まれた。祖父は裁判所の判事、父親は法廷弁護士という司法一家だった。


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リチャードは、ディスレクシア(失読症)で、学業にはまったく興味を示さず、なんと16歳で学校を中退し、商売をはじめた。


16歳のブランソンがはじめたのは、雑誌「ザ・スチューデント」を発行して、そこに広告を載せて、郵便による注文でレコードを売るという通信販売で、これが大成功した。


彼は自分の会社を「ヴァージン」と命名し、ロンドンの通りにレコード店を出す。この店も繁盛したが、税金問題で当局の追及を受け、危機におちいった。このときは、追加超税額や罰金を支払うために、リチャードの母親がローンを組んで現金を捻出し息子を援助したという。

リチャードが20歳のとき、レコード・レーベル「ヴァージン・レコード」を立ち上げ、アーティストをレコード・デビューさせた。

マイク・オールドフィールド、セックス・ピストルズ、カルチャー・クラブなど、ウァージンと契約したアーティストたちは大ブレイクし、ヴァージンはまたたく間に巨大になった。

34歳のとき、ヴァージン・アトランティック航空を設立し、リースのジェット機を1機購入し、ロンドン=ニューヨーク間に就航させた。


その後、機体数、路線数を増やしていき、ヨーロッパのヴァージン・エキスプレス、オーストラリアのヴァージン・ブルー、米国のヴァージン・アメリカなど、格安航空会社を各国につぎつぎに設立した。 彼の事業欲はとどまらず、航空業界のほか、携帯電話、「ヴァージン・コーラ」の飲料水、「ヴァージン・シネマズ」の映画館、「ヴァージン・ギャラクティック」の宇宙旅行事業など、さまざまな異業種へ参入した。 事業家として活躍する一方で、みずから熱気球に乗り込んで太平洋横断に挑む冒険家としても知られ、57歳の年には、「ヴァージン・アース・チャレンジ」賞を創設し、科学と技術分野の功績を顕彰するなど、いよいよグローバルに活躍の幅を広げている。 ビジネス成功者として、リチャード・ブランソンほどかっこいい実業家はなかなかいない。川に浮かべたボートに住んで、そこから指示を出し、気球で冒険旅行をし、コーラから航空会社にまで事業を広げている。 その昔は「英国病」などと言われたもので、英国は景気が悪く、音楽業界以外はパッとしなかった。多くの人々が失業したままでいたり、長引く貧困に甘んじていた。でも「揺りかごから墓場まで」の福祉があって、発奮しなくても、国が食べさせてくれるのだった。そこへ登場したのが、マーガレット・サッチャー首相であり、リチャード・ブランソンだった。

「ビジネスの世界で、ひとつだけたしかなことがある。それは、あなたを含めて、誰もがかならずミスを犯すだろうということだ。(One thing is certain in business. You and everyone around you will make mistakes.)」

ライブドアで一世を風靡したホリエモンは、このリチャード・ブランソンを師と仰ぎ、何かとなく手本にしたという。誰もが憧れるような成功者である。

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