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ラグビーは世界を変えるマンデラ大統領

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月11日
  • 読了時間: 3分

巨匠クリント・イーストウッド監督の『インビクタス/負けざる者たち』

実在の人物が成し遂げた奇跡の出来事を映画化した作品だ。

舞台は1994年の南アフリカ共和国。

差別によって引き起こされる、人種間の対立。

多くの国が悩まされている問題だが、国内が大きくふたつに分断されるなか、スポーツが持つ力によって、

人種の異なる大勢の国民同士の心情をつなぎとめた指導者がいた。

この映画のもう一人の主人公「ネルソン・マンデラ」は反体制活動家として27年ものあいだ投獄されていたが、

1990年に釈放されこの年に同国初の黒人大統領となった。

それまで政府の主要ポストを占めていた白人官僚たちは、マンデラが報復的な人事をするのではないかと恐れ、

一部の者達はそれを見越して荷物をまとめ始めていた。

それに対しマンデラは、初登庁の日に職員たちを集めて「辞めるのは自由だが、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。

あなたたちの協力が必要だ」と呼びかけた。

安堵した職員たちはマンデラのもとで働くこととなり、ボディーガードチームも予想に反して黒人と白人の混成チームとなった。

一方、南アフリカ代表のラグビーチーム「スプリングボックス」は当時低迷期にあり、黒人選手もわずか1人という状況だった。

ラグビーはアパルトヘイトの象徴として、多数を占める黒人の国民のあいだでは非常に不人気なスポーツだった。

政府内では「スプリングボックス」のチーム名やユニフォームの変更を求める意見が多数を占めており、一時はその方向で決まりかけていた。

しかしマンデラはこのチームが南アフリカの白人と黒人の和解と団結の象徴になると考え、チーム名とユニフォームの存続を求め周囲を説得し、一方でチームの主将フランソワ・ピナールを茶会に招いて言葉を交わし、励ました。

その後「スプリングボックス」のメンバーたちは、マンデラの意向で貧困地区の黒人の子どもたちにラグビーの指導に赴く。

当初それを不満に感じていたメンバー達も、一連の地道な活動により、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まり、自分たちの存在が国内のみならず世界的に注目されていることを知るに至った。

そして「スプリングボックス」は、自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。


今や新生南アフリカの象徴として見られるようになった「スプリングボックス」は、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュージーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨むのだ。。

スポーツは、いいものだと思う。

ワン・チームが流行語になったのは、まだ記憶に新しい。

奇跡の「スプリングボックス」を観戦して欲しい。

「人種差別は魂の病だ。

どんな伝染病よりも多くの人を殺す」

---ネルソンマンデラ


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