ホリエモン・堀江貴文という怪物
- 高下 豊光
- 2021年9月12日
- 読了時間: 2分
幻冬舎の創業社長・見城徹が、堀江貴文と初めて面会したときの話を書き残している。
社長が初めて会ったのは、堀江貴文が2004年プロ球団近鉄バッファローズ買収に名乗りを上げた直後であった。

報道を見た取締役は、「あれ、あの時に社長に会いたいと云って来た奴だ」と、思い出した。
見城徹は「面白そうだな、今度、会ってみるか」と云った。出版社といっても、ライブドアなんて誰も知らなかった頃である。
堀江貴文は社長に「東大の3年生のときから、幻冬舎には憧れていた」と、のたまう。
彼は、驚くほど幻冬舎のことを知っていたという。幻冬舎は、当時は、まだ出版業に参入したばかりであった。
堀江貴文は、さらに「僕は、幻冬舎と組んで仕事をしたい」という。さらに「そのため、貴社の株が欲しい」と。見城徹は驚いた。何度か共同事業に向けて打ち合わせを重ねた。そして、社長は新しい事業に乗ってみる気になったのだ。こうして、ライブドア51%、幻冬舎49&を出資し、2005年2月に「ライブドアパブリッシング」がスタートした。
ところが、それから数日後に、ニッポン放送買収計画が表沙汰になる。この会社は、フジテレビの大株主であった。ライブドアは、フジテレビを傘下に収めようという腹であった。
見城徹は驚愕する。なんという破天荒な男だろうか。堀江貴文の発想の奇抜さと、桁外れの行動力には舌を巻いた。最初から「こんなこと無理だ」とか云わない。すべてを柔軟にとらえて、「考えたことは必ず実現する」と、突き進む。
2003年6月、堀江貴文は、株式を10分割した。その半年後に100分割する。何と彼は、1年で株式を1万分割したのだ。こんな発想ができる経営者は、どこにもいなかったのだ。また、当時口にしていた「宇宙事業」は、実現に向けて動き出している。彼はほら吹きではなかった。

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