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ピンチは成功の影にニッカウヰスキー

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年10月2日
  • 読了時間: 2分

竹鶴という苗字は、家(現在の竹鶴酒造)の裏にあった竹林に鶴が巣を作ったことから由来している。

親会社(アサヒビール)に機能子会社化されるまで大株主であった元オーナー一族の竹鶴威は養子(実の甥)にあたる。

1923年、鳥井信治郎に招かれ寿屋(現在のサントリー)山崎蒸溜所初代所長として、日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮する。その後、より本格的なスコッチの製造を指向して大日本果汁(現在のニッカウヰスキー)を興した。

あくまでも品質にこだわり続けた技術者として知られる。

1962年、イギリスのヒューム外相が来日した際、“一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった”という意味の発言をしたといわれている。もちろんこれは竹鶴に対する賞賛であった。

このとき話題に出たノート(竹鶴ノート)はしばらく所在不明であったが、のちに竹鶴が当時所属していた摂津酒造(1964年10月、宝酒造に吸収合併)関係者の子孫が保存していることが分かり、ニッカウヰスキーに寄贈された。

酒量はウイスキー1日1本。晩酌には同社の二級ウイスキー(1960年代 - 1970年代当時)であるハイニッカを好み、おつまみとして醤油味の超極薄の薄焼き煎餅と供に楽しみながら飲んでいた。ただし、晩年には3日で2本に減らしたという。

2014年度後期に放送されたNHK連続テレビ小説『マッサン』の主人公である「亀山政春」( 玉山鉄二)のモデルとなった人物でもある。

自信を持ってニッカブランドを立ち上げた竹鶴政孝であるが、思うように売れなかった。売れるのは安物のイミテーションばかりであった。ニッカウヰスキーは、品質にこだわるので政孝は品質を下げて安売りする気はなかった。

営業担当者は危機感をにじませていた。彼らは大きな取引先を宴席に招いたという。

その席において政孝は言い放つのだ。


「皆様方、このニッカウヰスキーを売れないとおっしゃるのなら退席して頂いて結構です。扱っていただけるのであれば、なぜ我がニッカのものが容量が少なくて値段が高いのか、それをよく認識してもらいたい」

政孝に突き放された大手取引先は、かえって彼を信頼したと云われる。

ピンチに陥ったときの振る舞いで人間の真価が問われる。

竹鶴政孝を貫いている信念は「覚悟」だと思う。

ひるがえってこの「覚悟」は微塵も感じられないのが前・菅政権だったと思う。

同じく広島出身としては、岸田政権に期待する。


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