ナチスドイツの美しい女帝
- 高下 豊光
- 2021年12月10日
- 読了時間: 2分
わずか22歳で絞首台に登った女性看守イルマ・グレーゼ
1945年12月13日朝、若干22歳のドイツ人女性イルマ・グレーゼ(Irma Grese)が、民話「ハメルンの笛吹き男」で有名な古都市ハメルンの刑務所で、絞首刑となった。

ドイツの敗戦後まだ半年ほどであり、ニュルンベルク裁判での主要被告の処刑(1946年10月)、アウシュヴィッツ強制収容所所長ヘスの処刑(1947年4月)を考えると、最初に処刑されたドイツ人「戦犯」に属する。
軍人でも政治家でもない、わずか22歳のドイツ人女性が、他の民族社会主義ドイツの主要「戦犯」よりも前に、
なぜ、絞首台に上らねばならなかったのであろうか?
彼女が死刑判決を受けたのは、イギリスが1945年9月17日から11月11日、ドイツのリュネブルクで開いた「ベルゼン戦争犯罪裁判」である。
1945年4月に、ベルゲン・ベルゼン収容所を解放したイギリス軍は、逮捕した所長ヨーゼフ・クラマー(Josef Kramer)たち44名を、「ベルゲン・ベルゼン収容所での虐待行為」、「アウシュヴィッツ収容所での虐待行為」という二つの罪状で告発した。
44名の被告の内訳は16名のSS隊員(所長クラマー、収容所医師クラインなど)、16名の女性看守、12名のカポー(囚人長)(うち5名が女性)であった。クラマーなど8名の男性、グレーゼなど3名の女性に死刑判決が下った。
ホロコーストに関するマス・イメージのなかで、ベルゲン・ベルゼン収容所は、そこを解放したイギリス軍や連合国のジャーナリストが、疫病や飢餓で死亡した裸の死体の山などを撮影した写真やフィルムを大量にマス・メディアに公開したために、最悪の強制収容所というイメージが定着している。
彼女は、収容所に容赦ない仕打ちをして歓びを感じる典型的なサディストだった。
特に女性収容者の気に入らないところを見つけては彼女たちを虐待したという。
イルマは、常に革製の乗馬鞭を持ち、ことあるごとに収容者を打ち付けたのだ。
また、女性が肉体的な美しさを維持していることに腹を立てた。そんな女性には、ガス室送りになる前夜にあざ笑うかのように獰猛な犬に襲わせたという。
また、彼女は「戦争が終わったら、映画に出るのよ」というのが口癖であった。
確かに、収容所には不似合いなほどに容姿端麗でもあった。
ナチスのエリートとして育ったイルマ・グレーゼは、1945年12月13日、ハーメルンで刑に処された。最後まで、毅然とした態度を崩さなかったという。
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