スターバックス古き良き日本的家族経営
- 高下 豊光
- 2021年10月31日
- 読了時間: 4分
1971年、大学時代からの友人であった英語教師、歴史教師、ライターの3人によって珈琲豆&器具の販売店、スターバックスの歴史の幕が開く。

10年後の1981年、スターバックスの取引先であったドリップメーカーの営業責任者をしていたシュルツは、プラスチック製フィルターを大量注文していた同店に興味を持ち、実際に店舗を訪れる。
豆の選択からロースト法、その豆を買っていく人々への真摯なアドバイス、スターバックスに注がれたオーナー達のこだわりとその姿勢にシュルツは感銘を受け「ここで働きたい」と懇願、マーケティングディレクターとしてチームに加わることからシュルツのスターバックでの人生が始まる。
やがて、スターバックスの一員となり、コーヒー豆の買い付けにイタリアを訪れていたシュルツは、質の良いエスプレッソをゆっくり楽しめる居心地の良い空間に衝撃と感激を覚えるのだ。それはイタリア人の生活の一部となっていたコーヒーを中心として提供するカフェバールである。シュルツは、その居心地の良さと数の多さに驚愕する。
そして、「ここは、ただコーヒーを飲んで、一休みする場所ではない。ここにいること自体が素晴らしい体験となる劇場だ」とシュルツは感じるのだ。帰国後、オーナー達にイタリアのカフェバールのようなコーヒーを楽しむ空間を作ろうと提案するが、オーナーに拒否されてしまった。
そのため自分の直感を信じて疑わなかったシュルツは、ためらうことなくスターバックスを退社する。
そして理想を実現するコーヒーチェーン店を新たにスタートさせた。それこそ、イタリアでの理想を実現したもので、店はすぐに人気店となり、シュルツは退社したスターバックスを380万ドルで買収するほどになる。
「本当に作りたかったのは、居心地の良い場所だ。深煎りコーヒーだけではない」と語るように、シュルツはクオリティの高いコーヒーの提供だけではなく、人と人のつながりを大切にできる場所と良い雰囲気を提供することを目標に掲げ、そのために欠かせない最高の人材の確保に力を入れるのだ。
スターバックスの成功の秘密は、シュルツが実感した美味しいコーヒーと同時に、居心地の良い場所の提供をコンセプトにした店舗にあった。さらに、居心地の良さを実現するための従業員教育に主眼を置いたのである。
シュルツが理想とするスターバックスは、最高のスタッフを必要とした。しかも、美味しいコーヒーを作れるだけではなく、顧客の一人ひとりが心地よく店でくつろぐことができるようにサポートができるスタッフである。
彼の父親は、仕事で大怪我をしたその日に労災も解雇手当もなく突如解雇されてしまったのだ。その父親を見た経験から、従業員を大切にする企業を作りたかったという。
シュルツは、スタッフをビジネスパートナーと呼び、通常は正規雇用されている従業員のみに与えられる健康保険やストックオプション制度を週20時間以上勤務するパートタイマーにまで適用したという。
1996年、スターバックスは、海外第1号店を東京にオープンさせる。米国内で成功をもたらした、長居したくなるような照明やソファ、オープンテラス、そして教育の行き届いたスタッフ、また当時の日本では、まだ珍しかった店内全面禁煙を掲げたことで、開店と同時に大人気店となった。スターバックスでコーヒーを飲むということが、東京でも一種のステータスとなった。
質の良いコーヒーを提供するというだけでは、差別化が難しい。ところが、シュルツはコーヒーを楽しむ居心地の良い空間という付加価値をつけ、コーヒーを1つのブランドとして売りだすことに成功した。
その結果、スターバックスは、今では世界最大のコーヒーチェーン店となり、世界62カ国、2万店舗以上(2013年3月現在)で、2012年度の売上は130億米ドルを超える規模にまで拡大している。
シェルツの従業員を大事にする経営手法は、今の日本企業から失われつつある家族経営主義と呼ばれる日本的経営である。

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