ジョニー・デップの飽くなき挑戦
- 高下 豊光
- 2021年9月28日
- 読了時間: 2分
今を時めく大スターの「ジョニー・デップ」だが、20代で挫折を経験している。
彼もまた、俳優での成功を夢見て、ケンタッキー州からハリウッドに移住した。

フリーターで生活しながら俳優への訓練に明け暮れた。
恋人にも女優のたまごを選んだ。
彼もまた、希望はハリウッド・スターであった。それをひとときも忘れはしなかった。
20代半ばになった頃、彼はあるオーデションを受けた。
彼女と二人でエントリーした。
そして監督の目に留まったのだ。だが、プロデューサーは反対する。
結局彼女だけが採用された。大変な屈辱だった。そのせいか、恋人とは別れてしまった。
しかし「ジョニー・デップ」は諦めず挑戦を続けた。
そして80年代、転機がやってくる。人気テレビ番組「21ジャンプストリート」の主役を射止める。
彼はテレビでアイドルスターになったのだ。
だが彼は、映画への進出を諦めきれなかった。
ティム・バートン監督とのコンビで大ヒットを飛ばす。「エドワード・シザーハンド」だ。
当時の恋人はスーパーモデルだった。
そしてニューヨークのホテルで大喧嘩、警察を呼ぶ騒ぎに発展する。
そして人気絶頂だった「リバー・フェニックス」が、あろうことか、「バイパールーム」で麻薬中毒死を遂げたのだ。このクラブはジョニーデップがオーナーであった。
度重なるスキャンダルにデップは窮地に追い込まれる。
だが、バートン監督や仲間たちはデップを見捨てなかった。
懸命に彼を擁護して回った。
彼が「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズでブレイクするのはその直後である。
叶う夢こそ心に宿るのだ。

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