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オウムは「新・連合赤軍」という悪夢

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年9月29日
  • 読了時間: 2分

1995年3月20日、村上は神奈川県大磯の自宅にいた。

彼は、アメリカのマサチューセッツ州に住んでいたが、所属していた大学が春休みだったのでたまたま一時帰国していたのだった。午前10時に知り合いから電話があり、「これは間違いなくオウムのしわざだ。地下鉄に乗るな」と警告された。

事件後、氾濫する各種マスコミの情報の中に、彼の知りたい情報はなかった。

知りたかったのは「そのときに地下鉄の列車の中に居合わせた人々は、そこで何を見て、どのような行動をとり、何を感じ、考えたのか」という情報だった。

地下の世界は、村上にとって、一貫して重要な小説のモチーフであり舞台であったからである。

とりわけ『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』と『ねじまき鳥クロニクル』において、地下の世界は物語の中で中心的な役割を果たしていたのだ。

村上は、事件のノンフィクションを書くため、1995年夏にアメリカから帰国する。

そして、秋頃には、「押川節生」と「高橋秀実」の二人のリサーチャーに編集者を加えたチームが結成された。

担当編集者はデビュー作『風の歌を聴け』からの付き合いである「木下陽子」だった。

最初のインタビューが行われたのが1995年12月、すべての原稿を書き終えたのが1997年1月だった。

インタビューは、総数62人に及んだが、そのうちの2人から原稿化したあとで証言の掲載を拒否されたという。

この取材チームは1年を費やして執筆準備を終えるのだ。

手に取るようにサリン事件の状況が読む人に伝わってくる。混乱する現場の様子が臨場感をもって伝えられる。

まさに戦場とも云える場面が続くのだ。

1995年3月20日、晴れ上がった初春の朝であった。まだ、風は冷たかった。連休の谷間、いつもと変わらぬ日常のはず--だった。気化した猛毒サリンが地下鉄内に充満するまでは。

サリンによる無差別殺人を計画したのは、後に刺殺された「村井秀夫」である。

店長は、この村井秀夫は「革命的共産主義者」だったのではないのかと睨んでいる。

「オウム真理教」を宗教団体だと考えるからややこしくなる。

これを「新・連合赤軍」だと考えれば、すっきりするのだ。

それは、顧問弁護士「青山吉伸」はまぎれもない共産党員であったことからも分かる。

本作は、700ページを超える労作だ。定価で2,500円もする。中古品を求めることをおススメしたい。


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