すべての日本人は本多清六に学べ
- 高下 豊光
- 2022年2月1日
- 読了時間: 2分
本多静六
彼は、「人生即努力、努力即幸福」のモットーのもと、戦中戦後を通じて働学併進の簡素生活を続け、370冊余りの著作、財産を残した。
またの名を、「蓄財の神様」と云われている。

東京農科大学(現在の東大農学部)の助教授を務めながら「月給4分の1天引き貯金」と1日1頁の原稿執筆を開始。
研究生活のかたわら日比谷公園の設計や明治神宮の造林など大きな業績を残すだけでなく、独自の蓄財投資法と生活哲学を実践して莫大な財産を築いた。
多くの成功者に絶大な影響を与えた、伝説の億万長者である。
本多静六の蓄財術が正しく日本人に伝えられていれば、おそらく後の日本人は、金融リテラシーが低すぎるという評価は受けなかっただろう。
そして、貧苦に喘ぐ下層民は今よりはるかに減っていたことだろう。
彼が築いた資産は、現在の価値に換算すると100億円にもなるのだ。もちろん、東京大学からの給与だけで蓄えたのではない。
本多静六の投資の極意が残されている。曰く、「好景気には勤倹貯蓄を不景気には思い切った投資を!」である。
一般に、日本人は株式投資を嫌う傾向にある。ギャンブルと同じように思っている。
それこそ金融リテラシーが低いと米国から評価されるゆえんである。ようやくわが国でも高校の家庭科において、金融を学ぶことになった。
遅きに失したというべきだ。だが、やらないより良い。
今のようなマイナス金利になってしまうと、預金で積み立てていったとしても、お金はほとんど増えない。
株式投資がおススメだが、それには核となる種銭が必要だ。
本多静六は、現在の価値に換算して100万円を推奨している。
では、先生の生い立ちを見ておこう。
1886(慶応2)年、埼玉県に折原家の第6子として誕生。 地元では有名な餓鬼大将で、学問には無関心。遊びに夢中な少年であった。
しかし9歳のときに父・禄三郎が脳溢血で急死。家に多額の借金が舞い込み、極度の緊縮生活を余儀なくされる。 静六が「人間というものは満ち足りた状態にあるときには、反発心も努力しようとする気も起らないが、不足不遇の状態にあるとかえって求むる心が強くなり、奮発努力するものだ。」と語るように、家運を挽回すべく向学心を高めたこのとき、静六の自覚的努力の第一歩が始まったのである。
核家族化した現在では、もはや期待すべくもないか。
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