こんな自衛隊なら要らない
- 高下 豊光
- 2021年10月24日
- 読了時間: 2分
更新日:2021年10月27日
明治23年、和歌山県串本町沖で座礁沈没
---「エルトゥ―ルル」号乗組員救出

イラン・イラク戦争中の1985年3月17日、フセイン大統領が突然、「イラン領空を飛ぶ飛行機は、民間機であっても撃墜する」と宣言した。
各国が大慌てで救援機を飛ばしたのだ。ところが、日本は法律その他の理由で実現しなかった。
フセインは48時間の猶予時間を決めていた。刻限は迫っていたが、日本政府にはなすすべがなかった。
その時には在留邦人が215名いた。自衛隊機さえ派遣できなかったのだ。
当時の野党第一党の社会党は、戦闘地域に自衛隊機の派遣なんて言語道断と猛反対した。
この事態に至って、世界の常識は日本の非常識という。なにも爆撃機を飛ばして爆弾を落として還るわけではない。
自国民を救出するために自衛隊機を飛ばすのだ。そんな当たり前のことができないとは--
ところが、伊藤忠商事イスタンブール支店の所長であった「森永尭氏」は、トルコの「オザル首相」に援助を要請した。
その甲斐あって、トルコ航空機2機がテヘランに飛来する。そして在留邦人215名は全員無事に生還できたのだ。
では、なぜトルコ航空機は、危険を顧みずに森永所長の頼みを聞き入れてくれたのだろうか。
それには、トルコと日本の歴史的な友好関係があったのだ。
1890年(明治23年)和歌山県串本町沖で座礁沈没した「エルトゥ―ルル」号の乗組員を町民が身を捨てて救助してくれたことを覚えていたからである。
串本町民は、死者を出しながらも、必死に救出にあたり、69人を救ったのだ。この海難事故での死者はなんと581人に上ったという。
そして、このエピソードはトルコの教科書にも記述がある。
トルコは、今でも親日国だ。どうですか。旅行したくなりましたか。
旅をするならトルコです。

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