「鈴木商店」焼き討ち事件の衝撃
- 高下 豊光
- 2021年9月14日
- 読了時間: 2分
1918年第一次世界大戦の好景気の影響があって、「米騒動」が全国に波及していた。
こうした折、8月12日に一大商社「鈴木商店」が焼き討ちに遭遇する。

当時、スエズ運河を航行する船舶の25%はSZKだと噂され、羨望の的になっていたという。
SZKとは、鈴木商店のロゴマークである。
大正7(1918)年7月、富山で米騒動が勃発し、全国に拡大する。
そして神戸では、鈴木商店が米を買い占めているとの誤報が流され、暴徒と化した民衆が鈴木商店本店を襲い火を放ったのだ。
鈴木商店は米騒動が勃発する2年前の大正5(1916)年、当時では珍しいコロニアル風建築物であった神戸の「みかどホテル」を改修して本店とし、翌年には売上で日本一の総合商社となっていた。
鈴木商店本店焼き打ちは、そんなまさに鈴木商店の絶頂期を突然襲った出来事だった。
しかし実際には、鈴木商店が米を買い占めた事実はなく、それどころか鈴木商店は政府の要請により海外から米を輸入し、米価安定に協力していたという。
作家・城山三郎は、その代表作『鼠~鈴木商店焼討ち事件』において、鈴木商店が誤報・妬みなどによって狙い撃ちにされたことを数々の証拠を用いながら説明した。そして鈴木商店の潔白を明らかにしている。
事件勃発当時、「朝日新聞」の大げさな、しかも誤報によって鈴木商店が暴徒化した大衆の標的になったことが明らかになっている。なんと、朝日新聞は当時からマスゴミであったのか。
鈴木商店の番頭「金子直吉」が類まれな商才を発揮し、子会社として出発した神戸製鋼や豊年製油など、現在でも繁栄している企業が多数残っている。
戦後の日商岩井は、当時の鈴木商店だが、現在は「双日」と会社名が変わっている。
経済発展には、自分の才能と汗の全てをつぎ込んで企業の発展に尽くした経営者がいたということを忘れてはいけないと思う。

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