---「清原和博」の偏愛人生
- 高下 豊光
- 2021年9月30日
- 読了時間: 4分
--偏愛とは何だろうか。
世界には物体に恋をして結婚までした女性がいた。有名なところでは、エッフェル搭と結婚したパリの若い女性である。

そして、我らの清原和博である。彼は巨人軍という球団に恋をしてしまった。
PL学園の黄金時代を築いた二人の天才野球少年桑田真澄と清原和博。
衝撃のエピソードをご記憶だろうか?
あの1985年KKドラフト事件だ。
巨人入りを熱望していた清原と一方で早稲田大学に進学を表明していた桑田。 清原は、その日PL学園で同級生に満面笑顔で話していた。「球団から指名するとの電話をもろたんや。そやからワイは巨人にいくで」と、清原は浮かれ気分であった。
ところが、蓋を開けてみれば巨人の1位指名はなんと進学を表明していた桑田真澄だった。 清原の交渉権は、抽選の結果、 西武ライオンズが獲得した。この抽選には、阪神タイガースも名乗りを上げていた。彼の生まれは「だんじり祭り」で有名な大阪府岸和田市だ。だから阪神球団は勝算ありとみていた。
入団を熱望していた巨人に指名されなかった清原和博の無念さは察するに余りある。
しかも、よりによってPLの桑田真澄とは-- 清原和博の涙を堪えながらの会見は、とても印象的だった。 一方の 桑田真澄は、早稲田大学の進学を取り下げて巨人入団を決めた。 桑田巨人の密約が囁かれた。
それは、「早大には球団から話を付けておくから、キミは進学を表明してくれ。そうすれば、他球団が指名を遠慮してくれるはずだ。それで、巨人はキミを単独指名できる」と、いうものであったらしい。
私は、桑田巨人の入りの密約も、また清原の偏愛も十分に有り得る話だと考えている。彼は、ファンのレベルを精神的に超えていた。単なる巨人大好き少年ではなかったのだ。
ドラフト指名は1巡目に各球団1人だけである。だからKKコンビを二人とも指名はできない。 当時、清原和博の巨人愛は、同僚の桑田真澄もよく知っていた。
岸和田生まれの清原が巨人ファンになったのは、幼い頃にスター選手だった「王貞治、長嶋茂雄」に憧れてからだ。それから、彼は一方的に巨人軍に惚れこんでしまった。正確に表現するなら巨人への「偏愛」人生が始まっていたのである。
そして、未来の薬物依存は、この幼い頃の"憧れ"が引き起こすことになる。
ドラフト会議の放送中、結果を知った清原は、唸り声をあげ、一目散に教室を飛び出した。 家に辿り着くと、母親が心配して待っていた。
泣きじゃくる息子に母は云った。
『あんたは、王さんにフラれたんや--勝手に好きになってから--
しょうがないなあ、もう泣くのはおよし。あんたは、西武に入って王さんを見返してやるんや』
清原和博選手はその後、西武ライオンズの主力打者として、日本シリーズで巨人を破り日本一に輝いた。
守備についていたその瞬間、彼は涙を流していた。
たいていは、ここで「偏愛」は消えゆくのだが、そうはならなかった。彼の「巨人愛」は続くのだ。すでに清原の精神は破壊状態にあった。
まるで「ストーカー」にでもなったかのように。 彼の心の中には、いつも巨人軍があったのだ。愛してやまない巨人が。 これを心理学では、 比喩的な意味ではなく、一種の「対物性愛」として解説している。 簡単に説明すると、彼の心情は「巨人軍に対するストーカー」だと理解できる。
すると、覚せい剤に手を出さざるを得なかった彼の心が理解できるのだ。
晩年の清原和博は、その肉体改造から「番長」とよばれるほどのヘラクレス的風貌になった。
FA権取得で西武から巨人に移籍した彼を待っていたのは、あの少年時代に愛してしまった"巨人軍"ではなかったのだ。
彼の「偏愛」はいつしか絶望に変容していた。
巨人の4番打者としての重圧に苦しんだ、とも云われたが、私はそうではないと考えている。
彼の「対物性愛」は、哀しい2度目の失恋に変わったのだ。
次にストーカーが取ってしまう行動は、相手への暴力行為か、自分への自傷行為だ。
清原和博は、巨人軍への「偏愛」の自覚がないので、自傷行為と同じ薬物に走ってしまった。
これは、私の意見だが、ドラフト会議での巨人の罪は、決して軽くないと思う。
純粋な野球少年の夢をくじき、その人生を捻じ曲げてしまったのだから。。
取るべき方策は、清原を抽選覚悟で指名し、桑田は早大4年の時にドラフト指名すればよかったのだ。今でも、それが最良の選択だったと思っている。

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