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We are What We Choose.

  • 執筆者の写真: 高下 豊光
    高下 豊光
  • 2021年10月2日
  • 読了時間: 3分

アマゾンの創業者ゼフ・ペゾス

母校プリンストン大学に招かれてスピーチを行った。


彼が卒業生に送った言葉を紹介しておく。

「We are What We Choose.」

この意味が分かりますか。念のために訳すと「これまで選択してきた結果が今の私たちなのです」。

ジェフ・ベゾスは1964年1月12日、ニューメキシコ州のアルバカーキ生まれ。幼少期は科学が好きで、機械や発明に興味を持つ少年だったという。


1986年にプリンストン大学を主席で卒業後、金融決済システムのベンチャー企業「Fitel」へ就職した。 日本には珍しい理系秀才の金融アナリストであった。

その後、90年にニューヨークの大手ヘッジファンド「D.E. Shaw」へ転職。そこで着々とキャリアを積み、わずか4年で上級副社長という重役に就いた。

アマゾン構想のきっかけは、D.E. Shaw創業者のデビッド・ショーが、ベゾスにインターネットでのビジネスについて調査させたことだった。この調査でインターネットが驚異的なペースで普及していることを知り、インターネット販売に適した商品として書籍を検討するようになった。インターネットは年率2300%で成長を続けていたのだ。 本の流通業界には大手がなかったこともあり、ベゾスは書籍のインターネット販売業で起業することを決意。

ここで彼はD.E. Shawを退社した。

そして1994年アマゾンの前身カタブラドットコムを設立したのである。

ベゾスは開業にあたり投資家たちに出資を募ったが、多くの人が「アマゾンは失敗する可能性が7割」と警告し、資本金を集めるのに苦労した。当時、約30万ドルの出資をしたのは両親だったという。 その後、ベゾスはシアトルに移り住み、94年に自宅のガレージでアマゾンの前身である「Cadabra.com(カタブラドットコム)」を開業した。 「カタブラ」は魔法の呪文として使われる「アブラカタブラ」に由来しているが、「cadaver(死体)」と聞き間違えられることがあり、創業から約4ヶ月後には、世界三大河川のアマゾン川から着想を得た、アマゾン・ドット・コムに変更した。

さらに彼は、1997年ナスダックへの上場を達成する。

アマゾンをローンチしてから最初の1ヶ月で、アメリカの全州と45カ国で書籍を販売。スタートから順調に成長を続け、設立から3年後の97年にナスダックへ上場し、株式を公開した。ここから大躍進が始まるのだが、アマゾンは失敗すると誤った予想をした当初の投資家たちは、地団太を踏んだことだろう。

2003年マーケットプレイスをスタート

アマゾンのスタートダッシュは目を見張るものがあったが、01年のITバブル崩壊の時期は他の企業と同様に打撃を受けた。株価は上場後の初値18ドルを大きく下回り、1株あたり6ドル以下まで下落。 人材流出も相次ぎ、苦悩の日々が続いたが、03年に見事に起死回生。そのきっかけが「マーケットプレイス」だった。マーケットプレイスは、他の小売業者がアマゾンのプラットフォームを利用して出品・販売できるシステム。それを導入したことで、アマゾンはアメリカのeコマース市場でシェア率4割以上を占めるサービスとなった。

そして2005年には、会員向けに無料配送を提供するサービス「アマゾンプライム」をスタートする。

当初は「無料配送をして採算が取れるわけがない」と、世間からは冷ややかな目で見られていたが、eコマースのデメリットだった「配送料によって高くつく」という概念を払拭する。顧客の購買欲をかき立て、アマゾンの成長を大きく後押しすることになった。

一貫して彼を貫いている信念を感じることができる。それは最も日本人が不得手にすることだ。何だろうか、それは「覚悟」である。

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