15歳の天才を中心に世界が回った宇多田ヒカルの衝撃
- 高下 豊光
- 2021年9月12日
- 読了時間: 2分
平成10年12月、1枚のCDが発売された。
これまでの日本の歌謡曲にはない切なさをはらんだ歌詞と歌声。
その「Automatic」という曲を歌っているのが宇多田ヒカルであった。

注目度がよりUPしたのは、彼女がまだ15歳であることに加えて、あの演歌歌手・藤圭子の娘であることが世の中に知れ渡ってからである。
彼女を担当することになった音楽プロデューサー「松尾潔」は、初めて会った彼女に驚いたという。
松尾潔は、歌い方に気になる個所を見出し、直す方がよい、と提案する。
すると彼女は、「作曲家の権利があるだろう!」と、即座に言い返したそうだ。
松尾潔は、その生意気な男の子のような言い回しに
思わず笑ってしまう。およそ15歳とは思えなかった。
なんという意識の高さ、やること、なすこと、すべてにおいて気が利いている。
東芝EMIのプロデューサーから「松尾さん、ちょっと聞いてみて」と渡されたデモテープ、それが「Automatic」であった。
彼は聴いて、すぐさま打ちのめされた。日本人なのに黒人音楽、R&B、洋楽っぽい雰囲気を色濃く持っている。
その瞬間、松尾潔は、プロジェクト・チームに加わることにした。
誰なんですか、本当に日本人ですか。その時点では、まだ藤圭子の娘だとは知らなかった。
それを聞いて彼は再び驚いた。
ドキュメント作家の「沢木耕太郎」が、「流星ひとつ」というエッセイを書いている。
若き日の「藤圭子」をビビッドに描いている。おきゃんで生き生きとした、そして紛れもない天才歌手として描かれていた。
それこそ、デビュー間もない宇多田ヒカルであった。
一世を風靡した「小室哲哉」は、宇多田ヒカルを聞いて、「ヒカルちゃんは、僕を終わらせた--」と云ったそうである。
「天才の大噴火に立ち会えた」それは松尾潔には素晴らしい体験だったという。
その藤圭子は、精神的に不具合を発症し、かつてデビューした新宿で転落死を遂げた。
それは、マンションからの孤独の身投げであった。

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