1500年頃、中南米のアステカ、マヤ、インカ帝国が滅亡する
- 高下 豊光

- 2021年9月11日
- 読了時間: 3分
1万4000年ほど前、人類が古代のアメリカ大陸に足を踏み入れたことに始まり、
メキシコなど中米地域でメソアメリカ文明が、ペルー、ボリビア、エクアドルなど南米地域ではアンデス文明が興った。

これらの文明の起源はまだ研究の途上にあるが、エクアドルに展開したバルディビア文化(紀元前4350~前1500年頃)は最古の土器文化のひとつであると考えられ、文明の成り立ちを解明する上で重要な研究対象となっている。
また、16世紀にスペイン人がアステカ王国、マヤ文明、インカ帝国を征服するまで、各地で多種多様な文化が盛衰し、独特な世界観が誕生。文明人が生きた軌跡は建造物や彫刻、土器、織物などのかたちで残っている。
1545年、メキシコのアステカ帝国で伝染病が大流行し、目や口、鼻からの出血を伴う高熱と頭痛で人々が次々と倒れ、3~4日のうちに多くが命を落とした──。現地語で「ココリツトリ(cocoliztli)」と呼ばれるこの疫病により、1550年までの5年間で全人口の約80%に当たる1500万人が死亡したと考えられているが、その原因をめぐっては500年近く謎のままだった。ココリツトリは古代アステカのナワトル語で「悪性の伝染病」を意味する。
しかし、15日に発表された研究結果によると、このアステカ帝国の大惨事を引き起こした疫病は、天然痘、麻疹(はしか)、おたふく風邪、インフルエンザなどではなく、腸チフスに似た「腸熱」だった可能性が高いという。研究チームは当時の犠牲者の歯から見つけたDNAの証拠を調べた。
独テュービンゲン大学(University of Tuebingen)のアシルド・ベイジーン(Ashild Vagene)氏は「1545年~1550年に発生したココリツトリは、欧州人の到達後にメキシコを襲った多くの疫病の一つで、最も破壊的で最大規模の人命損失を引き起こした3回の大規模流行の2番目に発生したものだった」と話す。
ベイジーン氏は、AFPの取材に「この疫病の原因をめぐっては歴史学者らが100年以上にわたり論争を繰り広げてきたが、当時のDNAを用いた今回の研究によって初めて歴史学上の長年の疑問の解決に寄与する直接的な証拠を提供できることとなった」と述べた。同氏が共同執筆した論文は、米学術誌「ネイチャー・エコロジー・アンド・エボリューション(Nature Ecology and Evolution)」に掲載された。
病原菌は、欧州の入植者らがアメリカ新大陸に足を踏み入れるのに伴い持ち込まれたものだが、先住民の人々は当時、これに対抗する免疫を持っていなかった。ココリツトリは、現在のメキシコおよびグアテマラの一部に当たる地域で1545年に大流行したが、この約20年前にはスペイン人が新大陸に到達し、直後に天然痘の大流行が起きていた。
天然痘の流行では500万人~800万人が死亡したと推定されている。1576~1578年に発生したココリツトリの2度目の流行では、当時の人口の約半分が命を落としたという。征服者「コルテス」と云う名前が後世にまで伝えられているが、それは彼が特別有能だったからではない。
現在、中南米大陸のほとんどの人が、スペイン語やポルトガル語を話し、カトリックを信仰している。その理由は、征服者やその仲間たちによって、ヨーロッパから「ウイルス」や「細菌」が持ち込まれたせいである。中南米の人には、免疫が無かったのである。
一般に、歴史を作ったのは「偉人」だと云うのだが、歴史を作ったという人物はいないのだ。当時起こった重要な出来事のただ登場人物であったというだけである。
誰かを偉人に仕立て上げるのはやめにしよう。最も集中すべきなのは、あなた自身の人生である。

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