衝撃の獄中死・疑惑の三浦知義
- 高下 豊光
- 2020年10月2日
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【ロサンゼルス=堀内隆】1991年の米ロサンゼルス銃撃事件に関与した疑いで米自治領サイパンで2月に逮捕された元会社社長、三浦和義容疑者(61)=日本では無罪確定=がロサンゼルス市内で自殺を図り、死亡した。

ロサンゼルス市警から10日午後11時(日本時間11日午後2時)ごろ、現地の日本総領事館に連絡が入った。
三浦元社長は同日夜、ロス市警本部の留置場で、Tシャツで首を吊ったという。意識不明の状態で係官に発見された。近くの病院に搬送されたが、午後10時ごろ死亡が確認された。元社長は独房に入っていたが、ロス市警によると、巡回は30分ごとに行うことになっており、発見の10分前の巡回では異状がなかった。遺書は見つかっていないという。
三浦元社長は10日早朝、サイパンからロサンゼルスに移送された。週明けの14日に起訴前の罪状認否のためロサンゼルス郡地裁に出廷する予定だった。
遺体はロス郡検視局に移される見通しで、遺族や総領事館員が遺体と対面するのはその後になる。

元社長は10日午前11時ごろから約15分間、ロス市警の留置場で在ロサンゼルス総領事館の領事と接見。領事の問いかけに「元気です」と答え、読書を哀願したが、認められなかった。接見時の服装は移送時と同じで、Tシャツ姿ではなかったという。領事は「自殺するようなそぶりは全く見せておらず、非常に驚いている」と語った。
三浦元社長は妻の一美さん(当時28)を殺害したとして日本で起訴されたが、2003年に無罪が確定。今年2月、同じ事件で殺人と共謀の容疑でサイパンで逮捕された。
弁護側は、同じ罪で2度裁けない「一事不再理」の原則に反する逮捕だとして、逮捕状の取り消しを請求した。ロス郡地裁は先月26日、殺人罪については一事不再理を認めたが、共謀罪は弁護側の主張を退け、有効とする決定を出し、三浦元社長は10日、ロスへ移送された。
では、「疑惑の銃弾」として世間を騒がせたロス事件を振り返ってみたい。
三浦元社長は、1981年に米国ロサンゼルス市内で当時の妻の一美さん(当時28)を銃撃して殺害、多額の保険金をだまし取ったとして警視庁に逮捕され、殺人などの罪に問われた。
ところが、事件は物証や自白など犯行を裏づける直接証拠がなく、実際に銃撃をしたとされる「共犯者」が誰なのかが焦点になった。
一審・東京地裁では、共犯者は「氏名不詳の第三者」として元社長を無期懲役とした。
しかし、元社長は控訴審の東京高裁で逆転無罪になる。
検察側が上告したが、最高裁第三小法廷は2003年3月に上告を棄却し、元社長の無罪が確定した。
三浦氏はいったん釈放されたが、銃撃事件の3カ月前に知人女性に一美さんを襲わせ、殺害しようとしたとされる「殴打事件」に絡んだ殺人未遂罪で1998年10月、懲役6年の実刑判決が確定。同年11月に収監され、未決勾留日数を差し引いた約2年2カ月の服役を経て2001年1月に宮城刑務所を出所していた。
ここで、ロス疑惑以降の三浦和義元社長をめぐる動きをおさらいする。
1981年8月、米ロサンゼルス市内のホテルで三浦元社長の当時の妻一美さんが殴打される。同年11月 同市内で一美さんが銃撃され、翌年死亡(銃撃事件)
1985年9月 殴打事件に絡み、警視庁が殺人未遂容疑で元社長を逮捕、1998年10月に懲役6年の実刑判決が確定する。
1988年10月に銃撃事件の殺人容疑で警視庁が元社長を逮捕。
一審で無期懲役、控訴審で逆転無罪判決。2003年3月に検察側の上告が棄却され、無罪確定
同年5月には、東京都内の書店で雑誌1冊を万引きした疑いで元社長を現行犯逮捕。これは不起訴処分に。
2007年4月 神奈川県内のコンビニエンスストアでサプリメントを万引きした疑いで、元社長逮捕。略式起訴で罰金刑。元社長は正式裁判を申し立て、公判では万引きを否認する。
2008年2月 元社長が米自治領サイパン島で、殺人と共謀の容疑で逮捕される。
そして、同年9月 サイパンの地裁が、元社長が申し立てた人身保護請求を棄却、ロスに身柄を移すよう自治領政府に命令。
同月、元社長の逮捕状取り消し請求について、ロス郡地裁が殺人罪を無効、共謀罪は有効と決定する。
さらに同年10月、サイパン島からロスに元社長を移送。元社長は到着後に自殺した。
この自殺事件は、三浦和義の「自裁死」だと捉える人が多かった。あるいは、もう逃げられないと観念したという感想を抱いた人が大半であった。
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