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正統派アイドル時代に幕引き?

正統派アイドル時代に幕引き?

---「おニャン子クラブ」の罪と罰


天才・秋元康の創案による新アイドル形態

1985年4月1日フジテレビが放送開始した「夕やけニャンニャン」という番組。

この番組内アシスタントとしてスタートしのが「おニャン子クラブ」である。

初めて観たとき、人数の多さに度肝を抜かれた。



しかも、それほどキュートでもない少女たちの服装は、

安っぽいTシャツとスカートだった。

ところが、その3ヶ月後には衝撃が走ったのだ。

彼女たちのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」が、なんと瞬く間にブレイクする。


当時、関係者の間には、

「こんな学芸会のようなグループなんて一瞬で消えるだろう」とまで云われていたのだ。

では、時代背景を振り返ってみよう。

この頃はバブルの真っ盛りであった。つまり、お金とチャンスが飽和状態であった。

同世代の男子からは、恋愛感情や好奇心を身近に感じられる存在として、女子からは軽蔑、嫌悪感の対象となり気になる存在として、

無視できないグループとして育っていくのだ。

ここには山口百恵のような傑出したアイドルは必要ではなかった。


歌謡界を席捲していたころ、

まだ、アイドル市場は、確個として存在していた。

ところが、天才・秋元康は、この市場を侵食し遠慮なく乗っ取ってしまったのだ。

彼は、一人の逸材よりも平均点程度の10人を集める方が楽だし、芸能ビジネスのコストパフォーマンスがよい、と判断していた。

さらに彼は恐るべき商法を編み出す。それがAKB48の会員商法だ。

天才は、昭和、平成と2回もヒット・チャートの基準を変えてしまった。

さらにCD売り上げもその姿を変えていくことになる。もう、売り上げを決めるのは、音楽性の高さではなかった--握手会と総選挙の実施である。

編集長の私は、天才を大作詞家「阿久悠」だと思っているが、さらにもう一人加えなければならないだろう。

その人こそ「秋元康」である。。

 
 
 

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