根絶できない黒人差別「フルートベール駅で」の憂鬱
- 高下 豊光
- 2020年9月5日
- 読了時間: 2分
根絶できない黒人差別
---「フルートベール駅で」の憂鬱
監督:ライアン・クーグラー
主演:マイケル・B・ジョーダン
2013年製作/アメリカ 原題:Fruitvale Station 配給:クロックワークス

2009年1月1日、22歳の黒人青年が警察官に銃で撃たれて死亡した事件を基に映画化した。
新年を迎えようという12月31日、家族や友人といつもの日常を過ごす青年の姿を描き、突然この世から去った彼の運命の残酷さやはかなさを浮き上がらせた。
事件の痛ましさや、残された者の憤りと悲しさが胸に突き刺さる秀作である。
何の罪もない黒人青年が白人警官に撃たれて死んだ、実際の事件をもとにした作品だ。
同時期には黒人少年が自警団の白人に射殺される別の事件もあって、全米では大規模なデモも行われたという。
しかし、この映画では、人種差別を声高に訴えることはない。
問題意識を煽るというよりも、殺された青年がどこにでもいるごく“普通の若者”だということを描いていくのだ。
映画の冒頭、目撃者によって実際に撮影された映像で、事件の顛末は知らされる。2009年の元旦、フルートベール駅において、主人公のオスカー青年は死ぬことになる。

年越しのイベントを別にすれば、ごく平穏な1日だったのだが、それは突然の事件で忘れがたい日になる。
撃たれたときオスカーは「娘がいるのに……」と漏らす。観客はその無念さに涙を禁じえない。。
作品は、人種差別を訴えたいのか、若者の死を悼みたいのか、哀しいかな、そのあたりが曖昧だと思う。
それとも、人種差別は米国社会ではタブー化しているのか。
そもそも、黒人差別は、日本人には理解が及ばないという無理からぬ問題がある。
ただし、日本に根強く残る韓半島出身者に対しての差別に思いを馳せて欲しい。
映画は、最後まで気合を入れて観て欲しい。
見逃した人には激しくおススメ。。
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