村井秀夫刺殺事件を覚えていますか?
- 高下 豊光
- 2020年9月4日
- 読了時間: 3分
なぜ彼が狙われたのか。それは一連のオウム事件の解明に必要でもあったのだが、国民の目から隠していた事実があったという。

それを知っておかねばならないと思う。新年号「令和」が発表される以前に首謀者はすべて死刑に処された。彼らが企てた驚愕の事件は、世間からは急速に風化している。
彼らが、国家を乗っ取ろうとしていたことは紛れもない事実である。その遠因は、麻原彰晃と実の兄が視力障害者として生まれたことにある。
両親は水俣病に原因があるのではないかと疑い、熊本県に申請まで行っている。これは県から却下されているが、松本兄弟の心には大変なトラウマを生じせしめた。
しかも経済的に疲弊していた両親は、麻原彰晃が小学生の時に、ろうあ学校へ転入させた。国からの経済支援を当てにしたのである。彼は健常者ほどではないが、視力が弱くても通常の学校教育に十分就いて行けたのだ。父親は麻原少年に「いいか、目がまったく見えないふりをしろ」と云い含めたという。
うちが貧乏なのは世の中のせいだ、僕がこんな障害を持っているのは、世の中のせいだ。といった理不尽な思いが彼の精神を蝕んでいたことが、容易に想像出来る。
そのためか、麻原彰晃の上昇志向・欲求は生半可なものではなかった。そのため大量の自己啓発書に耽溺したのだ。いきおい仏教哲学に触れるのは時間の問題であった。そのあげく、密教の危険な教義「バジラヤーナ」と出会ってしまった。
彼は、「これだ!この教えこそが、このわしを救ってくれるのだ」とひざを打った。同時に、彼は多くの若者を呼び集めることができると確信した。麻原彰晃は、試験的に「阿含宗」に入会する。やがて、彼は「オウム神仙の会」を立ち上げるのだ。
そして、彼は理系秀才の勧誘に注力した。それは「オウム革命」に必要な武器をそろえる目的があったからだ。最終的には、小型の核弾頭を有することであった。彼の妄想はとどまるところを知らなかった。すでに、彼は、神になっていた。「バジラヤーナ」は、このわしに、万能の力を与えてくれる。
麻原彰晃の前に、都合よく村井秀夫が現れる。高校時代、彼は数学の天才だと称賛されていたらしい。編集長の私は、村井の同級生だった人から実際に聞いたのだ。
彼は、火器以外にも化学兵器にも目を付けていた。その中に、猛毒サリンがあったのだ。さっそく、教団内にチームを編成した。武器はロシアからの調達を考えた。その代理業者もつきとめた。
それが、「統一教会」の関連商社であった。国内では誰一人知らなかったのが韓国「統一産業」という統一教会の関連企業である。その社員たちは、韓国のために世界各国で武器の売買を行っていた。村井秀夫と刺殺犯「徐裕行」とは、裏で「統一産業」と繋がるのである。村井秀夫は、知識がありすぎて、なんでもしゃべってしまう危険があった。そのために暗殺指令が出されていたのだろう。おそらく麻原彰晃に違いない。
村井秀夫の担任は、彼に「京都大学に進学して、何かの研究をしたらどうか」と進めていた。だが彼は実家の経済状況を考えて、下宿せずに家から通学できる、近所にあった大阪大学進学を決めている。村井青年の心的背景は、想像するほかないのだが、何かの不満を抱えていたのではないかと、私は類推している。彼もまた「バジラヤーナ」思想に心酔していたのだろう。
密教をわが国に持ち帰った空海と最澄は、この教義は、とても日本人に広めることはできない、と封印したという。それをあろうことか、オウム真理教は、そのパンドラの箱を開けてしまったのだ。公安調査庁調査第2部では、相当に深いところまでオウムの調べはついていたそうだ。韓国の武器商社との関連まで調べつくしていた。
ところが、事件を矮小化して報道にも規制をかけていた。その上、破壊防止法の適用まで踏み込めなかった。歯止めをかけたのは、憲法20条の存在であった。
日本憲法は、国民の生命を保証しているはずなのに、信教の自由の前に、あまりにも無力であった。
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