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時代が追い付かなかった・実力歌手「朱里エイコ」の悲哀


時代が追い付かなかった"昭和の歌姫"

---実力歌手「朱里エイコ」の悲哀


ヒット曲「北国行きで」で知られる歌手の 朱里 エイコ(しゅり えいこ)さんが2004年(平成16年)7月31日、虚血性心不全のため東京都足立区の自宅で死去した。58歳だった。


同日午後1時20分ごろ、同居の男性から119番通報があり、救急隊員らが駆けつけたが、すでに死亡していたという。死亡日時は同日午前とみられている。



16歳で渡米し歌の修業を積み、帰国後の1972年(昭和47年)、「北国行きで」が大ヒットした。

また、脚線美で人気を集めた。近年は目立った音楽活動はなかった。


「朱里エイコ」は、米国に留まっていた方が良かったのではあるまいか。

彼女がデビューした当時の日本ではアイドル歌手の全盛期であった。

そのせいか、半ば異端児扱いされていたそうだ。

話題になったのは、日本人離れした類まれな脚線美だった。

では、ここで朱里エイコの華麗なキャリアを追ってみたい。

彼女は、なんと16歳にして単身渡米する。

努力してハリウッドのオーディションに合格した。

そして念願のベガスの舞台を踏んだのだ。

また1976年には、カーネギーホールの舞台に立つという偉業を成し遂げた。

還暦以上の皆さんは、1972年の大ヒット曲「北国行きで」をご記憶だろう。


あのソウルフルでダイナミックなハスキーなボイス以上に世の男性たちの目を釘付けにしたのは、彼女の脚線美だった。


そして彼女は、脚に1億円の保険を掛けていた。

話題を呼んだのはその保険の方で、彼女の圧倒的な歌唱力ではなかった。

そしてアイドル全盛時代のなかであえなく埋もれてしまった。

芸能界を取り巻く日本人のなんという貧困ぶりか。

 
 
 

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