時代が追い付かなかった・実力歌手「朱里エイコ」の悲哀
- 高下 豊光
- 2020年9月10日
- 読了時間: 2分
時代が追い付かなかった"昭和の歌姫"
---実力歌手「朱里エイコ」の悲哀

ヒット曲「北国行きで」で知られる歌手の 朱里 エイコ(しゅり えいこ)さんが2004年(平成16年)7月31日、虚血性心不全のため東京都足立区の自宅で死去した。58歳だった。
同日午後1時20分ごろ、同居の男性から119番通報があり、救急隊員らが駆けつけたが、すでに死亡していたという。死亡日時は同日午前とみられている。
16歳で渡米し歌の修業を積み、帰国後の1972年(昭和47年)、「北国行きで」が大ヒットした。
また、脚線美で人気を集めた。近年は目立った音楽活動はなかった。
「朱里エイコ」は、米国に留まっていた方が良かったのではあるまいか。
彼女がデビューした当時の日本ではアイドル歌手の全盛期であった。
そのせいか、半ば異端児扱いされていたそうだ。
話題になったのは、日本人離れした類まれな脚線美だった。
では、ここで朱里エイコの華麗なキャリアを追ってみたい。
彼女は、なんと16歳にして単身渡米する。
努力してハリウッドのオーディションに合格した。
そして念願のベガスの舞台を踏んだのだ。
また1976年には、カーネギーホールの舞台に立つという偉業を成し遂げた。
還暦以上の皆さんは、1972年の大ヒット曲「北国行きで」をご記憶だろう。
あのソウルフルでダイナミックなハスキーなボイス以上に世の男性たちの目を釘付けにしたのは、彼女の脚線美だった。
そして彼女は、脚に1億円の保険を掛けていた。
話題を呼んだのはその保険の方で、彼女の圧倒的な歌唱力ではなかった。
そしてアイドル全盛時代のなかであえなく埋もれてしまった。
芸能界を取り巻く日本人のなんという貧困ぶりか。
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